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「何回もRETOをやめようと思いました」~サブ4達成、怪我からの復活430日間の戦い~
RUNNERS REAL STORY Vol.1 田中智子さん Text: shun sato モートン病発症 田中智子さんが足の指の付け根に異変を感じたのは、2022年7月だった。 最初は、違和感だけで、そのうち治るかなと楽観視していたが、9月のRETO合宿に参加すると痛みで走れず、別メニューで過ごした。 その後、普通に歩いているだけでズキズキという痛みが出て、走るどころではなくなった。10月、神野大地に相談すると、「僕が過去に経験したのと同じ症状ですね」と語り、鳥居俊先生(整形外科医)を紹介してもらった。そこで診察を受け、告げられた病名は聞いたことがないものだった。 「モートン病です」 モートン病とは、足の裏や足趾(そくし)の付け根に痛みを生じる病気だ。足趾の付け根から指先にかけて向かう神経が、足趾の付け根の部位で慢性的に圧迫されることで発症する。モートン病の発症の要因は、ヒールなど先の細い靴を履き続けたり、外反母趾など骨の形状異常が見られる人に多いが、智子さんはまさに外反母趾で苦しんでいた。 担当医からの厳しい宣告 しかも、この時、鳥居先生からは厳しい宣告を受けた 「基本的には治らないです。病気と共存していくことで走れるようになれるので、まずは注射を打ちながら様子を見ていきましょう」 注射は、痛みに応じて液剤の量を調整し、2週間ごとに打ち、治療を進めていった。しかし、1ヶ月過ぎても好転せず、2ヶ月、3ヶ月と過ぎても一向によくならなかった。足の痛みが80%ぐらいあるとすると、注射を打ち2、3日は50%ぐらいに痛みが低下する。でも、1週間ほど経過し、歩いていると、また80%に戻ってしまう 「歩くと痛みが出るので、まだまだなぁって思うと溜息が出ました。このくらいで治りますというのが見えないですし、RETOに戻れるかどうかも分からない。本当に走れる日が来るのかな。もう走れないんじゃないかなと思うと、このままRETOに入っている意味あるのかなぁとか、いろんなことを考えてしまいました」 RETOをやめるか否か 2023年に入り、マラソンシーズンになるとRETOのメンバーが自己ベストを次々と更新していった。Facebookに、マラソンで結果を出した投稿を見ていると、眩しく、羨ましく思い、なぜ自分は走れないのだろうと足を呪った。 「こんなにつらいならいっそRETOをやめようかな」 何度も、そう思った。 智子さんにとって走ることは大好きなことであり、人生にとって欠かせないものだった。その走ることができなければ、走ること以外の興味のあることや取り組みたいことに時間を費やしていこうかなとも考えた。 「でも、RETOにいる以上、走ることが仕事の次いで私の優先すべきことなので、それを取っ払ったら楽になるのかなと思いましたが、それはできかったです」 仲間と神野の支え それは、走ることが好きで、復帰への強い思いがあったからだが、同時に治療している中、寄り添ってくれた仲間の存在が大きかったからだ。状態が好転しないなか、RETOのメンバーである星綾子さん、野崎七菜子さん、長谷部裕子さんと都内で会って、話をする時間は単純に楽しくもあり、自分がチームの一員であることを思い起こさせてくれる時間でもあった。 「私は、治療している間、練習会に出ていないので、誰とも会っていなかったんです。そんな時、4人で一緒に会う機会を作ってくれて。その時、『待っているよ』とか、『頑張って』とかではなく、私の心が晴れない日々の話をただ聞いてくれて‥‥それはすごくありがたかったです」 神野の声も智子さんの支えになった。 「先生を紹介してくださった後も神野さんは何回か連絡をくださって、治療の結果とか相談させていただきました。『治らない病気はないから待っています』と、声をかけていただいたり、ほんと支えていただきました」...
「何回もRETOをやめようと思いました」~サブ4達成、怪我からの復活430日間の戦い~
RUNNERS REAL STORY Vol.1 田中智子さん Text: shun sato モートン病発症 田中智子さんが足の指の付け根に異変を感じたのは、2022年7月だった。 最初は、違和感だけで、そのうち治るかなと楽観視していたが、9月のRETO合宿に参加すると痛みで走れず、別メニューで過ごした。 その後、普通に歩いているだけでズキズキという痛みが出て、走るどころではなくなった。10月、神野大地に相談すると、「僕が過去に経験したのと同じ症状ですね」と語り、鳥居俊先生(整形外科医)を紹介してもらった。そこで診察を受け、告げられた病名は聞いたことがないものだった。 「モートン病です」 モートン病とは、足の裏や足趾(そくし)の付け根に痛みを生じる病気だ。足趾の付け根から指先にかけて向かう神経が、足趾の付け根の部位で慢性的に圧迫されることで発症する。モートン病の発症の要因は、ヒールなど先の細い靴を履き続けたり、外反母趾など骨の形状異常が見られる人に多いが、智子さんはまさに外反母趾で苦しんでいた。 担当医からの厳しい宣告 しかも、この時、鳥居先生からは厳しい宣告を受けた 「基本的には治らないです。病気と共存していくことで走れるようになれるので、まずは注射を打ちながら様子を見ていきましょう」 注射は、痛みに応じて液剤の量を調整し、2週間ごとに打ち、治療を進めていった。しかし、1ヶ月過ぎても好転せず、2ヶ月、3ヶ月と過ぎても一向によくならなかった。足の痛みが80%ぐらいあるとすると、注射を打ち2、3日は50%ぐらいに痛みが低下する。でも、1週間ほど経過し、歩いていると、また80%に戻ってしまう 「歩くと痛みが出るので、まだまだなぁって思うと溜息が出ました。このくらいで治りますというのが見えないですし、RETOに戻れるかどうかも分からない。本当に走れる日が来るのかな。もう走れないんじゃないかなと思うと、このままRETOに入っている意味あるのかなぁとか、いろんなことを考えてしまいました」 RETOをやめるか否か 2023年に入り、マラソンシーズンになるとRETOのメンバーが自己ベストを次々と更新していった。Facebookに、マラソンで結果を出した投稿を見ていると、眩しく、羨ましく思い、なぜ自分は走れないのだろうと足を呪った。 「こんなにつらいならいっそRETOをやめようかな」 何度も、そう思った。 智子さんにとって走ることは大好きなことであり、人生にとって欠かせないものだった。その走ることができなければ、走ること以外の興味のあることや取り組みたいことに時間を費やしていこうかなとも考えた。 「でも、RETOにいる以上、走ることが仕事の次いで私の優先すべきことなので、それを取っ払ったら楽になるのかなと思いましたが、それはできかったです」 仲間と神野の支え それは、走ることが好きで、復帰への強い思いがあったからだが、同時に治療している中、寄り添ってくれた仲間の存在が大きかったからだ。状態が好転しないなか、RETOのメンバーである星綾子さん、野崎七菜子さん、長谷部裕子さんと都内で会って、話をする時間は単純に楽しくもあり、自分がチームの一員であることを思い起こさせてくれる時間でもあった。 「私は、治療している間、練習会に出ていないので、誰とも会っていなかったんです。そんな時、4人で一緒に会う機会を作ってくれて。その時、『待っているよ』とか、『頑張って』とかではなく、私の心が晴れない日々の話をただ聞いてくれて‥‥それはすごくありがたかったです」 神野の声も智子さんの支えになった。 「先生を紹介してくださった後も神野さんは何回か連絡をくださって、治療の結果とか相談させていただきました。『治らない病気はないから待っています』と、声をかけていただいたり、ほんと支えていただきました」...
応援されるのって、すごくうれしいですね
RRC member interview Text: shun sato Cチーム(目標:フルマラソンsub 4時間00分)第6クールMVPに選ばれた松本沙耶香さん 金沢でサブ4達成 金沢マラソンでサブ4(3時間52分58秒)を達成できた時は、ようやくって思いました(笑)。 いつもはレースの2カ月前ぐらいから「よし、走ろうか」というスタイルでやっていたんです。でも、そういう感じでは、いつまでたってもサブ4は達成できなくて、RETOに入りました。 ひとりで走るのが苦手 もともと、私はひとりで走るのが苦手でした(苦笑)。金沢を走る前も月間で100キロぐらいしか走っていなくて、どう考えても足りていない。そのせいか金沢では28キロ付近ですごくキツくて、いつ歩こうかなって考えて走っていました。でも、エイドでカレーを食べたり、和菓子をいただいたりしたら、すごく元気になって後半は少し余裕をもって走れました。 RETOがブラジル遠征をサポート 私は5期目からなんですけど、RETOが私の人生に大きな影響を与えてくれています。先日、フレスコボールで日本代表としてブラジルに行ったのですが、フレスコはマイナ―スポーツですし、誰かに応援されるためにやっているわけではなかったんです。でも、RETOでクラウンドファンディングみたいな形で支えていただいてすごくありがたかったですし、応援してもらえるありがたさをすごく感じました。改めていいチームだなって思いました。 陽平さんはライバル 私のなかでは、陽平(成相)さんの存在も大きいです。同じタイミングでRETOに入ったのですが、入る前、他のラン二ングイベントで会っていて顔見知りでしたし、持ちタイムも似たり寄ったりだったので、すごく意識していました。その頃は、私の方がタイムが上だったんですけど、今はもうかなり前に行かれて、私もがんばらないといけないと思っています。そういう意味では、陽平さんはいいライバルですし、目標でもあります。 次のターゲットはサブ3.5 サブ4という目標をひとつクリアしたことで、燃え尽きてしまうのかなと思ったんですけど、全然それはなかったですね(笑)。RETOのメンバーは、PBを出しまくっているので、私も簡単にできる目標は嫌だなって思って、サブ3.5を自分のターゲットにしました。そのためには練習量ですね。これまで頑張っても月間150キロぐらいが限界でしたが、目標を決めたら達成しないと気が済まないタイプなので、陽平さんにも負けないように練習、頑張りたいと思います。
応援されるのって、すごくうれしいですね
RRC member interview Text: shun sato Cチーム(目標:フルマラソンsub 4時間00分)第6クールMVPに選ばれた松本沙耶香さん 金沢でサブ4達成 金沢マラソンでサブ4(3時間52分58秒)を達成できた時は、ようやくって思いました(笑)。 いつもはレースの2カ月前ぐらいから「よし、走ろうか」というスタイルでやっていたんです。でも、そういう感じでは、いつまでたってもサブ4は達成できなくて、RETOに入りました。 ひとりで走るのが苦手 もともと、私はひとりで走るのが苦手でした(苦笑)。金沢を走る前も月間で100キロぐらいしか走っていなくて、どう考えても足りていない。そのせいか金沢では28キロ付近ですごくキツくて、いつ歩こうかなって考えて走っていました。でも、エイドでカレーを食べたり、和菓子をいただいたりしたら、すごく元気になって後半は少し余裕をもって走れました。 RETOがブラジル遠征をサポート 私は5期目からなんですけど、RETOが私の人生に大きな影響を与えてくれています。先日、フレスコボールで日本代表としてブラジルに行ったのですが、フレスコはマイナ―スポーツですし、誰かに応援されるためにやっているわけではなかったんです。でも、RETOでクラウンドファンディングみたいな形で支えていただいてすごくありがたかったですし、応援してもらえるありがたさをすごく感じました。改めていいチームだなって思いました。 陽平さんはライバル 私のなかでは、陽平(成相)さんの存在も大きいです。同じタイミングでRETOに入ったのですが、入る前、他のラン二ングイベントで会っていて顔見知りでしたし、持ちタイムも似たり寄ったりだったので、すごく意識していました。その頃は、私の方がタイムが上だったんですけど、今はもうかなり前に行かれて、私もがんばらないといけないと思っています。そういう意味では、陽平さんはいいライバルですし、目標でもあります。 次のターゲットはサブ3.5 サブ4という目標をひとつクリアしたことで、燃え尽きてしまうのかなと思ったんですけど、全然それはなかったですね(笑)。RETOのメンバーは、PBを出しまくっているので、私も簡単にできる目標は嫌だなって思って、サブ3.5を自分のターゲットにしました。そのためには練習量ですね。これまで頑張っても月間150キロぐらいが限界でしたが、目標を決めたら達成しないと気が済まないタイプなので、陽平さんにも負けないように練習、頑張りたいと思います。
自分がやりたいことで子どもたちに背中を見せていくのもありかなと思ってRETOに参加しました
RRC member interview Text: shun sato Bチーム(目標:フルマラソンsub 3時間30分)第6クールMVPに選ばれた溝上奈緒美さん 金沢マラソンで自己ベスト 金沢マラソンで、PB(3時間23分57秒)を出せたのは、本当にうれしかったですね。 8月はまだ暑かったので、ジョグをメインにまずは走ることを意識していたんですが、ちょっとのんびりしてしまっていました。9月に入ってコロナにかかって、練習会をお休みしたんです。スピードはRETOでやることを意識していたので、それができなくて焦りが生じて‥‥そこからスイッチが入ってかなり身を入れて練習するようになりました。 RETO加入の際の迷い 私は5月からRETOに入ったのですが、入る前は悩みました。マラソンはひとりで走りますし、練習も一人でするものだと思っていたので、練習をグループでやることの意義をあまり見出せなかったんです。また、2人の子どものうち、下の子がまだ低学年なので、日本の社会的にお母さんが自分の好きなことに没頭していていいのかと思いましたし、育児放棄しているような罪悪感もありました。でも、自分がやりたいことで子どもたちに背中を見せていくのもありかなと思い、参加させていただいたんです。 勢いをつけてくれたレガシーハーフ 金沢の前にレガシーハーフがあったんですけど、私にはこのレースがすごく大きかったです。限られた時間での練習とレースのなか、絶対に結果を出さないといけないと思っていました。スタートして5キロまでは激込みで、35分と時計が表示されているのを見た時はタイムラグがあるのも忘れて「ダメじゃん」って思ったんです。でも、ここで終わらせていいのか、こんなんで諦めちゃうお母さんでいいのか、子どもたちは陸上をしているんですけど、ちゃんと背中を見せないといけないと思い、なんとかPB(1時間40分57秒)を出すことができました。 子どもたちが作ってくれた金メダル 金沢は、自分で決めたキロ4分40秒のペースでいけば数字的には絶対にサブ3.5は切れる。あとは、もう自分の気持ち次第だなって思いました。金沢の当日は子どもたちの大会もあったんですが、そういうなかで行かせてもらったので、恥ずかしい結果は出せないという思いが強かったです。サブ3.5をクリアできて、子どもたちはすごく喜んでくれて、手作りの手紙やメダルを作ってくれました。3時間20分切りには届かなったんですけど、トライできたなというところで自分のなかでは大きなターニングポイントになりました。
自分がやりたいことで子どもたちに背中を見せていくのもありかなと思ってRETOに参加しました
RRC member interview Text: shun sato Bチーム(目標:フルマラソンsub 3時間30分)第6クールMVPに選ばれた溝上奈緒美さん 金沢マラソンで自己ベスト 金沢マラソンで、PB(3時間23分57秒)を出せたのは、本当にうれしかったですね。 8月はまだ暑かったので、ジョグをメインにまずは走ることを意識していたんですが、ちょっとのんびりしてしまっていました。9月に入ってコロナにかかって、練習会をお休みしたんです。スピードはRETOでやることを意識していたので、それができなくて焦りが生じて‥‥そこからスイッチが入ってかなり身を入れて練習するようになりました。 RETO加入の際の迷い 私は5月からRETOに入ったのですが、入る前は悩みました。マラソンはひとりで走りますし、練習も一人でするものだと思っていたので、練習をグループでやることの意義をあまり見出せなかったんです。また、2人の子どものうち、下の子がまだ低学年なので、日本の社会的にお母さんが自分の好きなことに没頭していていいのかと思いましたし、育児放棄しているような罪悪感もありました。でも、自分がやりたいことで子どもたちに背中を見せていくのもありかなと思い、参加させていただいたんです。 勢いをつけてくれたレガシーハーフ 金沢の前にレガシーハーフがあったんですけど、私にはこのレースがすごく大きかったです。限られた時間での練習とレースのなか、絶対に結果を出さないといけないと思っていました。スタートして5キロまでは激込みで、35分と時計が表示されているのを見た時はタイムラグがあるのも忘れて「ダメじゃん」って思ったんです。でも、ここで終わらせていいのか、こんなんで諦めちゃうお母さんでいいのか、子どもたちは陸上をしているんですけど、ちゃんと背中を見せないといけないと思い、なんとかPB(1時間40分57秒)を出すことができました。 子どもたちが作ってくれた金メダル 金沢は、自分で決めたキロ4分40秒のペースでいけば数字的には絶対にサブ3.5は切れる。あとは、もう自分の気持ち次第だなって思いました。金沢の当日は子どもたちの大会もあったんですが、そういうなかで行かせてもらったので、恥ずかしい結果は出せないという思いが強かったです。サブ3.5をクリアできて、子どもたちはすごく喜んでくれて、手作りの手紙やメダルを作ってくれました。3時間20分切りには届かなったんですけど、トライできたなというところで自分のなかでは大きなターニングポイントになりました。
ライバル心を持たれる存在でいたい
RRC member interview Text: shun sato A+チーム(目標:フルマラソンsub 2時間50分)第6クールMVPに選ばれた島田和幸さん シカゴマラソンでPB達成 シカゴマラソンは、当日の気温が7℃から10℃ぐらいでした。コースはフラットでしたし、ニューヨークと同じように応援が絶え間なくてすごく独特で楽しかったです。ゴールした時は、2時間56分ぐらいで「あーベスト切れなかったなぁ」とがっかりしていたのですが、正式タイムを見たらPB(2時間55分13秒)で、びっくりました。 サブ3挑戦の際、決意したこと RETOでは、みなさんに「毎回、結果を出していますね」と言われますが、みなさんほど走っていなくて、月間300キロぐらいです。正直、なぜタイムを維持出来ているのか、自分でもよく分からないです(苦笑)。ただ、最後まで諦めないことを大事にしています。2016年、初めてサブ3を出した時、しんどいけど諦めずに走ったら達成できたのですが、その経験が軸になっています。基本的にメンタルが弱くて、けがや足の痛みを理由にDNFとか無様な走りが続くことが多かったのですが、サブ3をもう一度と思うようになって言い訳して諦めるのはもうやめようと決めました。 サブ3達成の理由 今、僕がサブ3を継続できている理由は、2点あります。一つ目は自分のフォームをチェックして、意識するようにしたことで走り方が変わってきたことです。ヘタってくるとフォームが崩れて(従来の悪いフォームになって)痛みが出たりしてダダ下がりになるのですが、そういう苦しいなかでも正しいフォームを少しでも意識すると、スイッチが切り替わったように脚が動くようになります。 違う景色が見えてくる 二つ目は、最初に突っ込まないことです。これらによって後半、周囲の景色がよく見えるようになりました。よく、「景色が良かった」と言われて、「苦しいのに景色なんて見る余裕ないだろ」と思っていたのですけど、このまま行けそうだなって思うと、ちゃんと前が見えて、景色も見えてくるのです。それが、シカゴマラソンでした。 鉄人と呼ばれること RETOは、初期のメンバーと一緒に練習しているグループの人以外は、なかなか分からなくなっているんですけど、お互いに「がんばろうぜ」と言える環境がとてもいいですね。でも、若い人らに「鉄人」って呼ばれるのは、よく分からないです(苦笑)。こんな僕に対してライバル心をみたいなものをもって、すごく頑張っているんですよ。こないだもアマネ(有本周翔)君がつくばで2時間52分を出した時かな、次の日に「シマカズ抜いてやったからな」みたいな感じで言っていたのですけど、僕からすればあれだけスピードがあるんだから、そのくらいのタイムが出て当たり前(笑)。でも、年齢関係なく、そういう対象に見られるのは良いなって思いますし、いつまでもライバル心を持ってくれるような存在でいたいですね。
ライバル心を持たれる存在でいたい
RRC member interview Text: shun sato A+チーム(目標:フルマラソンsub 2時間50分)第6クールMVPに選ばれた島田和幸さん シカゴマラソンでPB達成 シカゴマラソンは、当日の気温が7℃から10℃ぐらいでした。コースはフラットでしたし、ニューヨークと同じように応援が絶え間なくてすごく独特で楽しかったです。ゴールした時は、2時間56分ぐらいで「あーベスト切れなかったなぁ」とがっかりしていたのですが、正式タイムを見たらPB(2時間55分13秒)で、びっくりました。 サブ3挑戦の際、決意したこと RETOでは、みなさんに「毎回、結果を出していますね」と言われますが、みなさんほど走っていなくて、月間300キロぐらいです。正直、なぜタイムを維持出来ているのか、自分でもよく分からないです(苦笑)。ただ、最後まで諦めないことを大事にしています。2016年、初めてサブ3を出した時、しんどいけど諦めずに走ったら達成できたのですが、その経験が軸になっています。基本的にメンタルが弱くて、けがや足の痛みを理由にDNFとか無様な走りが続くことが多かったのですが、サブ3をもう一度と思うようになって言い訳して諦めるのはもうやめようと決めました。 サブ3達成の理由 今、僕がサブ3を継続できている理由は、2点あります。一つ目は自分のフォームをチェックして、意識するようにしたことで走り方が変わってきたことです。ヘタってくるとフォームが崩れて(従来の悪いフォームになって)痛みが出たりしてダダ下がりになるのですが、そういう苦しいなかでも正しいフォームを少しでも意識すると、スイッチが切り替わったように脚が動くようになります。 違う景色が見えてくる 二つ目は、最初に突っ込まないことです。これらによって後半、周囲の景色がよく見えるようになりました。よく、「景色が良かった」と言われて、「苦しいのに景色なんて見る余裕ないだろ」と思っていたのですけど、このまま行けそうだなって思うと、ちゃんと前が見えて、景色も見えてくるのです。それが、シカゴマラソンでした。 鉄人と呼ばれること RETOは、初期のメンバーと一緒に練習しているグループの人以外は、なかなか分からなくなっているんですけど、お互いに「がんばろうぜ」と言える環境がとてもいいですね。でも、若い人らに「鉄人」って呼ばれるのは、よく分からないです(苦笑)。こんな僕に対してライバル心をみたいなものをもって、すごく頑張っているんですよ。こないだもアマネ(有本周翔)君がつくばで2時間52分を出した時かな、次の日に「シマカズ抜いてやったからな」みたいな感じで言っていたのですけど、僕からすればあれだけスピードがあるんだから、そのくらいのタイムが出て当たり前(笑)。でも、年齢関係なく、そういう対象に見られるのは良いなって思いますし、いつまでもライバル心を持ってくれるような存在でいたいですね。
みんなに刺激を与えることが目標です
RRC member interview Text: shun sato A2チーム(目標:フルマラソンsub 3時間10分)第6クールMVPに選ばれた有馬寛之さん 難コースの横浜マラソン 横浜マラソンは、難しいコースでタイムが出ないと聞いていたので最初から攻めようと決めていました。最後は少し余力を残してPB(3時間5分34秒・現在は3時間0分45秒:つくばマラソン)を出せて良かったです。僕は、いつも全力を出すのではなく、余力のある部分を次のレースに活かそうと思って走っています。それが、そのあとのレースの結果にもうまく繋がっています。 順調にタイムを伸ばす 横浜まで、マラソンについてはわりと順調でした。3月、東京マラソンで3時間17分を出せて、さくらマラソンで3時間12分まで行けました。8月の道マラは足を疲労骨折して、どこまで走れるか分からなかったんですが、あの暑さのなか、3時間半を切れたのはすごく自信になりました。 RETOでの成長 自分は、RETOに入る前まではジョグしかしていなかったんです。でも、チームのみなさんとスピード練習をしたり、距離を踏んだり、それが走力向上につながりました。スピード練習は主にRETOの練習で、他にタムケン連や自主練会を利用するぐらいです。僕はスピードがないのでRETOでもついていくので精一杯なんですけど、それでもついていこうと走ることで、普通に走る際のスピードがだいぶ上がりました。4分15秒ペースなんて、RETO入る前は、想像もしていなかったですけど、今はいけるようになりましたし、それはスピード練習に取り組んだ成果だと思います。 豊富な情報量も大きなメリット 練習だけではなくRETOは情報量も多くて、シューズや補給ジェルとかもすごく参考になりました。モルテンとか使用したことがなかったんですけど、勧められて使ったらすごく良くて、ハマりました。怪我も疲労骨折した時、なな(野崎七菜子)さんから体外衝撃波のことを聞いて試すと痛みがかなりなくなったことが横浜マラソンのPBに繋がったと思います。 「成長期おじさん』と呼ばれて 最近は、結果を出すのが楽しくなりました。レースでPBを出すとRETOで神野さんがみなさんの前で報告してくれるじゃないですか。あれが、僕のモチベーションになっています。チームでは自分が何か刺激を与えられる存在でいたいですし、そういう刺激を与えることが目標になっています。「成長期おじさん」と呼ばれていますが、これからもお互いにいい影響を与え、得られるようになればいいと思いますし、ここまできたので、次はしっかりサブ3を達成したいと思います。
みんなに刺激を与えることが目標です
RRC member interview Text: shun sato A2チーム(目標:フルマラソンsub 3時間10分)第6クールMVPに選ばれた有馬寛之さん 難コースの横浜マラソン 横浜マラソンは、難しいコースでタイムが出ないと聞いていたので最初から攻めようと決めていました。最後は少し余力を残してPB(3時間5分34秒・現在は3時間0分45秒:つくばマラソン)を出せて良かったです。僕は、いつも全力を出すのではなく、余力のある部分を次のレースに活かそうと思って走っています。それが、そのあとのレースの結果にもうまく繋がっています。 順調にタイムを伸ばす 横浜まで、マラソンについてはわりと順調でした。3月、東京マラソンで3時間17分を出せて、さくらマラソンで3時間12分まで行けました。8月の道マラは足を疲労骨折して、どこまで走れるか分からなかったんですが、あの暑さのなか、3時間半を切れたのはすごく自信になりました。 RETOでの成長 自分は、RETOに入る前まではジョグしかしていなかったんです。でも、チームのみなさんとスピード練習をしたり、距離を踏んだり、それが走力向上につながりました。スピード練習は主にRETOの練習で、他にタムケン連や自主練会を利用するぐらいです。僕はスピードがないのでRETOでもついていくので精一杯なんですけど、それでもついていこうと走ることで、普通に走る際のスピードがだいぶ上がりました。4分15秒ペースなんて、RETO入る前は、想像もしていなかったですけど、今はいけるようになりましたし、それはスピード練習に取り組んだ成果だと思います。 豊富な情報量も大きなメリット 練習だけではなくRETOは情報量も多くて、シューズや補給ジェルとかもすごく参考になりました。モルテンとか使用したことがなかったんですけど、勧められて使ったらすごく良くて、ハマりました。怪我も疲労骨折した時、なな(野崎七菜子)さんから体外衝撃波のことを聞いて試すと痛みがかなりなくなったことが横浜マラソンのPBに繋がったと思います。 「成長期おじさん』と呼ばれて 最近は、結果を出すのが楽しくなりました。レースでPBを出すとRETOで神野さんがみなさんの前で報告してくれるじゃないですか。あれが、僕のモチベーションになっています。チームでは自分が何か刺激を与えられる存在でいたいですし、そういう刺激を与えることが目標になっています。「成長期おじさん」と呼ばれていますが、これからもお互いにいい影響を与え、得られるようになればいいと思いますし、ここまできたので、次はしっかりサブ3を達成したいと思います。
RETOメニューが成長の源です
RRC member interview Text: shun sato A1チーム(目標:フルマラソンsub 3時間00分)第6クールMVPに選ばれた市川貴洋さん 最後まで諦めなかった北海道マラソン 自己ベストを更新したわけでもない中、シーズンMVPをいただいて、なんか恐縮です(苦笑)。 北海道マラソンは、後半、ペースが落ちてかなり苦しい展開になったんですけど、個人的には大きな経験になりました。道マラの位置づけは、秋冬に向けた距離走として、つっちー(土本優作さん)とペースを守って走ることをテーマにしていました。暑くて苦しい中でも、みなさんの励ましやつっちーのサポートもあって最後まで諦めずに走れたことが今、マラソンでキツイ時や辛い時も耐えられる力に繋がっています。 月間300キロがノルマ 夏に入って練習で自分なりに意識したのは、月間300キロ以上走るということでした。それは、チームのメンバーやいろんな人からサブ3を達成するには、そのくらいの距離が必要だというのを聞いて、自分でも納得したからです。それを7月からスタートして、月に数回は25キロやハーフの距離走を行うことを自分に課していました。 単独でのスピード練の効果 また、朝には直線で1キロぐらい取れる目黒川沿いでスピード練習をしていました。そのおかげで、RETOの練習会でのクルーズインターバルで3分50秒の設定が最初はきついなって思っていたんですけど、今はわりとラクに走れているので、練習の成果から心肺機能と走力が上がってきたんだなと手応えがあります。手賀沼ハーフでは自分の力をコントロールして走れるようになり、PB(1時間26分39秒)を出せましたし、それが自信にも繋がっています。 愚直にRETOメニューをこなす あと、特に強く意識したのは聖也さんが作成した練習メニューを全部、その通りにこなすということでした。仕事や子育ても忙しく、時間的にいろんな練習会に行く余裕があまりありません。聖也さんはサブ3を達成するためのメニューを考えてくださっているので、その練習に集中して取り組みました。僕はジョグ以外、聖也さんのメニューしかしてこなかったですが、走力が確実に上がっていきました。これからもRETOのメニューを愚直にこなして目標のサブ3を達成したいと思っています。
RETOメニューが成長の源です
RRC member interview Text: shun sato A1チーム(目標:フルマラソンsub 3時間00分)第6クールMVPに選ばれた市川貴洋さん 最後まで諦めなかった北海道マラソン 自己ベストを更新したわけでもない中、シーズンMVPをいただいて、なんか恐縮です(苦笑)。 北海道マラソンは、後半、ペースが落ちてかなり苦しい展開になったんですけど、個人的には大きな経験になりました。道マラの位置づけは、秋冬に向けた距離走として、つっちー(土本優作さん)とペースを守って走ることをテーマにしていました。暑くて苦しい中でも、みなさんの励ましやつっちーのサポートもあって最後まで諦めずに走れたことが今、マラソンでキツイ時や辛い時も耐えられる力に繋がっています。 月間300キロがノルマ 夏に入って練習で自分なりに意識したのは、月間300キロ以上走るということでした。それは、チームのメンバーやいろんな人からサブ3を達成するには、そのくらいの距離が必要だというのを聞いて、自分でも納得したからです。それを7月からスタートして、月に数回は25キロやハーフの距離走を行うことを自分に課していました。 単独でのスピード練の効果 また、朝には直線で1キロぐらい取れる目黒川沿いでスピード練習をしていました。そのおかげで、RETOの練習会でのクルーズインターバルで3分50秒の設定が最初はきついなって思っていたんですけど、今はわりとラクに走れているので、練習の成果から心肺機能と走力が上がってきたんだなと手応えがあります。手賀沼ハーフでは自分の力をコントロールして走れるようになり、PB(1時間26分39秒)を出せましたし、それが自信にも繋がっています。 愚直にRETOメニューをこなす あと、特に強く意識したのは聖也さんが作成した練習メニューを全部、その通りにこなすということでした。仕事や子育ても忙しく、時間的にいろんな練習会に行く余裕があまりありません。聖也さんはサブ3を達成するためのメニューを考えてくださっているので、その練習に集中して取り組みました。僕はジョグ以外、聖也さんのメニューしかしてこなかったですが、走力が確実に上がっていきました。これからもRETOのメニューを愚直にこなして目標のサブ3を達成したいと思っています。