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名古屋は本当に幸せなレースでした
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール B+チーム(目標:サブ3時間20分)MVP 山岡菜月さん RETOは恐ろしい 長距離を始めたのは、コロナの頃です。就活が早い段階で終わり、学生なのでお金はないけど、時間はある。何か一人で出来ることがないかと思ってランニングを始めたのですが、もともと中高と陸上部で短距離をやっていたので、走ることは好きでした。 アス(山本明日香さん)ちゃんに紹介してもらって、昨年の8月にRETOに入ったのですが、最初は「恐ろしい」と思いました。私は月間走行距離が50キロぐらいで、みなさんは月間100キロ以上普通に走っているじゃないですか。コーチの聖也さんが『マラソンの結果は月間走行距離に比例する』と言っていたので、それを信じて土日にガッツリ走って、200キロを超えるようになりました。 攻めた取り組み 今年に入って1、2月は30キロの大会に出たり、土日のどちらかでハーフを走っていました。また、私からメンバーにペーサーをお願いして、自主練でロング走もしました。本番を意識したペースで取り組むことができたので、ペーサーを引き受けてくれるメンバーには本当に感謝です。あと家の近くの上り坂で練習した結果、しっかりと足作りが出来て、心肺機能を高めることができました。 1年で驚異の35分短縮 その成果が名古屋ウィメンズマラソンに出て、自己ベスト(3時間19分36秒)を更新できたのだと思います。Beyond2023で、サブ3.5(3時間28分65秒)をクリアできたので、今回は20分切りを目指したのですが、ハーフ時点で「これ無理じゃん」と思ったんです。でも、30キロでつっちーさん(土本優作さん)が並走してくれて、気持ちを切り替えることができました。そこからRETOや会社のみなさんの応援を受けて、タイムを計算しながら必死に走りました。タイムが19分36秒だったので、一瞬でも気を抜いたら目標を達成できなかったです。2023年の板橋シティ(3時間54分57秒)から1年でここまで来れて、自分でも驚いています(笑)。 応援の力 今回のPBは、RETOと会社のみなさんの応援に尽きます。1月に立川の30キロで優勝し、会社に興味を持っていただいたことから名古屋では現地で応援していただき、終わった後も激励の言葉をいただきました。RETOは、自分の記録達成だけじゃなく、メンバーの記録達成にも一生懸命なのがすごい。お金をかけて名古屋に応援に来てくれてびっくりしましたし、うれしかったです。みなさんに応援されて、名古屋は本当に幸せなレースでした。 お菓子の誘惑 振り返ると、名古屋に向けて、一番キツかったのが、お菓子を我慢することでした。私の会社の机の横にお菓子 BOXがあって、カントリーマームやホームパイが置いてあるんです。それも食べて、食事も通常通りに食べていたら、練習の時に身体が重く感じてしまって。これは良くないと、上司に「名古屋が終わるまでお菓子を食べません」と宣言したら、お菓子の補充をやめてくれました。2月は調子が落ちた時もあったのですが、体が軽くなり、これってお菓子が原因だったんだと気づけて良かったです(笑)。 モチベは、完走メダル 私がマラソンを走る上でのモチベーションの一つが、完走メダルです。大人になってメダルとか普通もらえないですよね。完走したら結果はどうあれもらえるし、それが走った証明にもなるじゃないですか。神戸とか横浜とかのメダルが格好いいので、いつか走ってメダルを獲得したいですし、タイムは秋、冬に15分を切れるように頑張っていきたいです。 ふたりの背中を追う 私は、なおみ(溝上奈緒美さん)さんとゆうこりん(長谷部裕子さん)にすごく影響を受けています。なおさみんは、毎日のようにハーフに近い距離を走っていますし、ゆうこりんは一人で質の高い練習をしています。ふたりのように練習出来たら、私ももっと強くなるかなと思っているからです。あと、あまね(有本周翔さん)さんに勧められたサッカニーのシューズに代えてから調子が良くなったんです。そのことを「インタビューで言え、言え」とプッシュされたのですが、あんまりいうと本人、調子に乗るんで、小っちゃい胡麻レベルでいいので「靴難民を脱することができたのでありがとうございます」と載せてください(笑)。
名古屋は本当に幸せなレースでした
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール B+チーム(目標:サブ3時間20分)MVP 山岡菜月さん RETOは恐ろしい 長距離を始めたのは、コロナの頃です。就活が早い段階で終わり、学生なのでお金はないけど、時間はある。何か一人で出来ることがないかと思ってランニングを始めたのですが、もともと中高と陸上部で短距離をやっていたので、走ることは好きでした。 アス(山本明日香さん)ちゃんに紹介してもらって、昨年の8月にRETOに入ったのですが、最初は「恐ろしい」と思いました。私は月間走行距離が50キロぐらいで、みなさんは月間100キロ以上普通に走っているじゃないですか。コーチの聖也さんが『マラソンの結果は月間走行距離に比例する』と言っていたので、それを信じて土日にガッツリ走って、200キロを超えるようになりました。 攻めた取り組み 今年に入って1、2月は30キロの大会に出たり、土日のどちらかでハーフを走っていました。また、私からメンバーにペーサーをお願いして、自主練でロング走もしました。本番を意識したペースで取り組むことができたので、ペーサーを引き受けてくれるメンバーには本当に感謝です。あと家の近くの上り坂で練習した結果、しっかりと足作りが出来て、心肺機能を高めることができました。 1年で驚異の35分短縮 その成果が名古屋ウィメンズマラソンに出て、自己ベスト(3時間19分36秒)を更新できたのだと思います。Beyond2023で、サブ3.5(3時間28分65秒)をクリアできたので、今回は20分切りを目指したのですが、ハーフ時点で「これ無理じゃん」と思ったんです。でも、30キロでつっちーさん(土本優作さん)が並走してくれて、気持ちを切り替えることができました。そこからRETOや会社のみなさんの応援を受けて、タイムを計算しながら必死に走りました。タイムが19分36秒だったので、一瞬でも気を抜いたら目標を達成できなかったです。2023年の板橋シティ(3時間54分57秒)から1年でここまで来れて、自分でも驚いています(笑)。 応援の力 今回のPBは、RETOと会社のみなさんの応援に尽きます。1月に立川の30キロで優勝し、会社に興味を持っていただいたことから名古屋では現地で応援していただき、終わった後も激励の言葉をいただきました。RETOは、自分の記録達成だけじゃなく、メンバーの記録達成にも一生懸命なのがすごい。お金をかけて名古屋に応援に来てくれてびっくりしましたし、うれしかったです。みなさんに応援されて、名古屋は本当に幸せなレースでした。 お菓子の誘惑 振り返ると、名古屋に向けて、一番キツかったのが、お菓子を我慢することでした。私の会社の机の横にお菓子 BOXがあって、カントリーマームやホームパイが置いてあるんです。それも食べて、食事も通常通りに食べていたら、練習の時に身体が重く感じてしまって。これは良くないと、上司に「名古屋が終わるまでお菓子を食べません」と宣言したら、お菓子の補充をやめてくれました。2月は調子が落ちた時もあったのですが、体が軽くなり、これってお菓子が原因だったんだと気づけて良かったです(笑)。 モチベは、完走メダル 私がマラソンを走る上でのモチベーションの一つが、完走メダルです。大人になってメダルとか普通もらえないですよね。完走したら結果はどうあれもらえるし、それが走った証明にもなるじゃないですか。神戸とか横浜とかのメダルが格好いいので、いつか走ってメダルを獲得したいですし、タイムは秋、冬に15分を切れるように頑張っていきたいです。 ふたりの背中を追う 私は、なおみ(溝上奈緒美さん)さんとゆうこりん(長谷部裕子さん)にすごく影響を受けています。なおさみんは、毎日のようにハーフに近い距離を走っていますし、ゆうこりんは一人で質の高い練習をしています。ふたりのように練習出来たら、私ももっと強くなるかなと思っているからです。あと、あまね(有本周翔さん)さんに勧められたサッカニーのシューズに代えてから調子が良くなったんです。そのことを「インタビューで言え、言え」とプッシュされたのですが、あんまりいうと本人、調子に乗るんで、小っちゃい胡麻レベルでいいので「靴難民を脱することができたのでありがとうございます」と載せてください(笑)。

RETOで得た刺激と意識改革
RRC member interview 第8クール Bチーム(目標:サブ3時間30分)MVP 山本直哉さん ダイエットがスタート 私が走り始めたのは、コロナの頃でした。 製薬会社で営業をしているので、普段は病院やクリニックに先生や医療従事者の方に会いに行きます。でも、コロナで医療機関の出入りが制限され、リモート主体になったのです。開店休業状態になり、食べて飲んで何もしないでいると見る見るうちに太ってしまって。体重は64キロぐらいだったのが、70キロまで増えて腹が出てぶよぶよでした。お風呂に入る前、自分の身体を見て、「これは本当に何かしないといけない」と思い、痩せるために走り始めました。それからチームに入ろうといろいろ探している時、たまたまタムケンさん(田村コーチ)の記事を読んだのです。その後、有馬(寛之)さんと食事した際、「RETO にタムケンがコーチでいるよ」と聞かされて、ぜひお願いしますって感じで紹介してもらい、応募しました。 つまみ食いからの脱皮 11月にRETOに入ったのですが、それから湘南国際マラソンまでの1か月は、すごく濃密でした。私は、それまで一人で練習していて、YouTubeとか見ながら「これがいいかな」といろんなことをつまみ食いしながら走っていたんです。RETOに入ってからは、メンバーのみなさんに練習やレースプランなどいろいろ教えていただきました。 いかに距離を稼ぐか 一番、驚いたのは、月間走行距離ですね。私はそれまで90キロぐらいしか走っていなかったんですが、みなさん、300キロとか、400キロを走っているじゃないですか。どうやって距離を伸ばすのかを聞いていくと、朝や夜、通勤ランで稼ぐというのを聞いてすごく参考になりました。 Stravaという刺激 私は、それまで金曜日に飲みに行って、土曜日はその影響で半日潰れてみたいな生活をしていたんです(苦笑)。金曜日の飲み会をセーブして、土曜日や日曜日の朝に時間を作って走るようにしました。すると月間220キロまで増えましたし、今もコンスタントに200キロは越えています。今、一番の刺激になっているのが、Stravaです。「みんな、こんなに朝早くから走っているんだ」、「日曜日20キロも走っているよ」とか、これを見たら自分もやらないといけないとすごく思います。 板橋シティマラソン唯一のPB更新 板橋シティマラソンは、暑さと強風の中でのレースで、途中でコンタクトがズレた状態で走っていたんですが、みなさんの応援のおかげで走り切ることができて、PB(3時間31分55秒)を出すことができました。暑さで苦しんでいた時、30キロ手前ぐらいでOS1をいただいて、しかも並走していただいて、ゴミまで受け取ってくれて。OS1ってこんなにおいしいんだって思いましたし、めちゃ力になりました。応援の力ってすごいなって改めて思いましたね。レース後、飲み会で、板橋でPBを出せたのは私だけだったらしく、みなさんに『おめでとう』と言われてうれしかったです(笑)。本当はサブ3.5をクリアして別府大分マラソンの出場権を得たかったので、そこは次に持ち越しになりました。水戸漫遊マラソンにエントリーしているので、そこでサブ3.5を決めたいと思っています。 熱いアルビレックス新潟サポ マラソン以外では、サッカーが好きです。高校までサッカー部で、ボランチでプレーしていました。新潟県の長岡出身なので小さい頃からアルビレックス新潟を応援しています。今も関東での試合を見に行ったりしていますが、基本的にはDAZNで見ています。視聴料金がすごく高くなったんですけど、歯を食いしばって支払い、応援しています(苦笑)。 RETOには、サッカー好きが多いと聞いていますので、みなさんとサッカー談義できたらいいですね。ゲームは、フットサルをたまにするぐらいでユニフォームやスパイクも持っているんですけど、今はタンスの肥やしになっています(苦笑)。最近はランニング用のシューズが増えて、先日もヴェイパーフライネクスト3を買いました。履くとテンションが上がりますし、このシューズで目標を達成したいと思っています。
RETOで得た刺激と意識改革
RRC member interview 第8クール Bチーム(目標:サブ3時間30分)MVP 山本直哉さん ダイエットがスタート 私が走り始めたのは、コロナの頃でした。 製薬会社で営業をしているので、普段は病院やクリニックに先生や医療従事者の方に会いに行きます。でも、コロナで医療機関の出入りが制限され、リモート主体になったのです。開店休業状態になり、食べて飲んで何もしないでいると見る見るうちに太ってしまって。体重は64キロぐらいだったのが、70キロまで増えて腹が出てぶよぶよでした。お風呂に入る前、自分の身体を見て、「これは本当に何かしないといけない」と思い、痩せるために走り始めました。それからチームに入ろうといろいろ探している時、たまたまタムケンさん(田村コーチ)の記事を読んだのです。その後、有馬(寛之)さんと食事した際、「RETO にタムケンがコーチでいるよ」と聞かされて、ぜひお願いしますって感じで紹介してもらい、応募しました。 つまみ食いからの脱皮 11月にRETOに入ったのですが、それから湘南国際マラソンまでの1か月は、すごく濃密でした。私は、それまで一人で練習していて、YouTubeとか見ながら「これがいいかな」といろんなことをつまみ食いしながら走っていたんです。RETOに入ってからは、メンバーのみなさんに練習やレースプランなどいろいろ教えていただきました。 いかに距離を稼ぐか 一番、驚いたのは、月間走行距離ですね。私はそれまで90キロぐらいしか走っていなかったんですが、みなさん、300キロとか、400キロを走っているじゃないですか。どうやって距離を伸ばすのかを聞いていくと、朝や夜、通勤ランで稼ぐというのを聞いてすごく参考になりました。 Stravaという刺激 私は、それまで金曜日に飲みに行って、土曜日はその影響で半日潰れてみたいな生活をしていたんです(苦笑)。金曜日の飲み会をセーブして、土曜日や日曜日の朝に時間を作って走るようにしました。すると月間220キロまで増えましたし、今もコンスタントに200キロは越えています。今、一番の刺激になっているのが、Stravaです。「みんな、こんなに朝早くから走っているんだ」、「日曜日20キロも走っているよ」とか、これを見たら自分もやらないといけないとすごく思います。 板橋シティマラソン唯一のPB更新 板橋シティマラソンは、暑さと強風の中でのレースで、途中でコンタクトがズレた状態で走っていたんですが、みなさんの応援のおかげで走り切ることができて、PB(3時間31分55秒)を出すことができました。暑さで苦しんでいた時、30キロ手前ぐらいでOS1をいただいて、しかも並走していただいて、ゴミまで受け取ってくれて。OS1ってこんなにおいしいんだって思いましたし、めちゃ力になりました。応援の力ってすごいなって改めて思いましたね。レース後、飲み会で、板橋でPBを出せたのは私だけだったらしく、みなさんに『おめでとう』と言われてうれしかったです(笑)。本当はサブ3.5をクリアして別府大分マラソンの出場権を得たかったので、そこは次に持ち越しになりました。水戸漫遊マラソンにエントリーしているので、そこでサブ3.5を決めたいと思っています。 熱いアルビレックス新潟サポ マラソン以外では、サッカーが好きです。高校までサッカー部で、ボランチでプレーしていました。新潟県の長岡出身なので小さい頃からアルビレックス新潟を応援しています。今も関東での試合を見に行ったりしていますが、基本的にはDAZNで見ています。視聴料金がすごく高くなったんですけど、歯を食いしばって支払い、応援しています(苦笑)。 RETOには、サッカー好きが多いと聞いていますので、みなさんとサッカー談義できたらいいですね。ゲームは、フットサルをたまにするぐらいでユニフォームやスパイクも持っているんですけど、今はタンスの肥やしになっています(苦笑)。最近はランニング用のシューズが増えて、先日もヴェイパーフライネクスト3を買いました。履くとテンションが上がりますし、このシューズで目標を達成したいと思っています。

骨折しても走るのはやめられない
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール A2(目標:サブ3時間10分)MVP 加藤麻実子さん 骨折しても走る 私は、常に走っていたいんです。 走るのが大好きなので、腕や肋骨を骨折しても足じゃなければ問題ありません。2日ぐらいは骨折の痛みで気持ち悪いんですけど、それを乗り越えると痛みに慣れてくるので、普通に走れちゃいます。絶対ダメなことなんですけどね(笑) 骨折の痛みよりも走っている時の爽快感が勝るし、走れない辛さを我慢できないんです。怪我しても走ったり、運動してるのは昔からですね。スポーツクラブでレッスン中に膝を骨折したことがあったのですが、3日後、お気に入りの先生のレッスンで踊ってました(笑)。めちゃ痛かったんですけど、アドレナリンが出ていたのか、1時間限定でなんとかなりました。好きなことに対しては、がんばれる性格です(笑) 私のモチベーション RETOは、昔から神野選手の大ファンで入会しました。動機が不純かもしれないけど、神野さんにPBを発表してもらいたい、褒めてもらいたい。それが私が再びマラソンの記録を狙うようになったきっかけです。今年1月の勝田マラソンの翌日にRETOの練習会があったのですが、神野さんが来て、「PB出せなくて残念でしたね」と言われた瞬間、悔しさが爆発して、次の東京マラソンで絶対PB更新するぞって思いました。 うれし涙のゴール 東京マラソンは、スタートの3日前に外反母趾が腫れ上がってしまい、スタート地点になんとか立ちましたが、痛みをこらえるため全集中の45.195kmでした。走っている途中、時計がおかしくなって、「私、こんなに遅かったっけ」と愕然としたのですが、もうなるようにしかならないと思い、気持ちで走っていました。最後の2キロ地点、「PBが出せる」とわかった時、勝田の後で神野さんに言われた「残念だったね」という言葉を思い出し、1秒でも更新しようと無我夢中で走りました。ゴールしたら念願のPB(3時間9分46秒)。RETOのメンバーがいて、うれしくて涙がこみ上げてきました。練習会での神野さんからのPB発表の時はドキドキしたし、あの嬉しさは忘れられません。 ホノルルマラソンがはじまり 私がマラソンを始めたのは、近所に出来たスポーツクラブに入り、ホノルルマラソンのポスターを見て、私も走りたいと思ったからです。それまで走るのは嫌いだったんですが、そこからトレッドミルで毎日5キロを走り始めました。だんだん走ることが楽しくなり、ハマっていきました。ノリでマラソン大会に初めて出た時は、上下ウインドブレーカーで時計はスポーツ系じゃなく、おしゃれ系で走ったんです。今ならあり得ないですね(笑) 信越五岳への決意 もともと山が好きで、小さい頃からよく山を登っていました。RETOに入る前は山ばかり行っていたくらいで、トレイルランニングは大好きな趣味の一つです。今年は、トレイルランニングレースの信越五岳110キロで結果を出したいと思っています。昨年は夏に怪我してスタート地点に立つので精一杯で、完走できたことに満足でしたが、今年は記録にこだわりたくて。有名なトレイルランナーの方が「マラソンとトレイルは別もの」と教えてくださったので、そこで勝負するためにはトレイルに特化した練習をこの春、夏にしないとだめだと思い、他に数レース予定しているので、RETOから一時、離れることにしました。 お互いを高め合う環境 普段から一人で走ることが多く、RETOでもどちらかというと一匹狼的な感じで、みんなとめちゃくちゃ仲良くなる感じではないのですが、みんなから刺激をたくさんもらっていたから、一時期でもRETOから離れるのは、やっぱりちょっと寂しいです。スピード練習の後とか、みんな地べたに座りこんで握手したり、肩を叩きあったりしているじゃないですか。そういう姿を見ていると、いいなと思いますね。私は、まだそこまで追い込めていないけど、「やらないと」と思わせてくれたのはRETOのおかげです。あと、応援が本当に素晴らしいですね。レースでRETOのメンバーが応援に来てくれた時、あと数キロ頑張ればみんなに会えると思うとめちゃくちゃ力が出ます。そのために走るみたいな感じだったので、応援の力はすごいなと思いました。 ふたたびロードへ トレイルの挑戦が終わったら、またRETOに戻ってきます。ロードの目標は、サブ3に近いところまで行くこと。コーチの聖也(高木)さんには、「本番に強い」と言われたことがありますが、私もなんとなくそうだなぁと自覚しているところがあります。これからも本番で強い所を見せ、結果を出していきたいと思っています。 また神野さんにPB発表してもらうために。
骨折しても走るのはやめられない
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール A2(目標:サブ3時間10分)MVP 加藤麻実子さん 骨折しても走る 私は、常に走っていたいんです。 走るのが大好きなので、腕や肋骨を骨折しても足じゃなければ問題ありません。2日ぐらいは骨折の痛みで気持ち悪いんですけど、それを乗り越えると痛みに慣れてくるので、普通に走れちゃいます。絶対ダメなことなんですけどね(笑) 骨折の痛みよりも走っている時の爽快感が勝るし、走れない辛さを我慢できないんです。怪我しても走ったり、運動してるのは昔からですね。スポーツクラブでレッスン中に膝を骨折したことがあったのですが、3日後、お気に入りの先生のレッスンで踊ってました(笑)。めちゃ痛かったんですけど、アドレナリンが出ていたのか、1時間限定でなんとかなりました。好きなことに対しては、がんばれる性格です(笑) 私のモチベーション RETOは、昔から神野選手の大ファンで入会しました。動機が不純かもしれないけど、神野さんにPBを発表してもらいたい、褒めてもらいたい。それが私が再びマラソンの記録を狙うようになったきっかけです。今年1月の勝田マラソンの翌日にRETOの練習会があったのですが、神野さんが来て、「PB出せなくて残念でしたね」と言われた瞬間、悔しさが爆発して、次の東京マラソンで絶対PB更新するぞって思いました。 うれし涙のゴール 東京マラソンは、スタートの3日前に外反母趾が腫れ上がってしまい、スタート地点になんとか立ちましたが、痛みをこらえるため全集中の45.195kmでした。走っている途中、時計がおかしくなって、「私、こんなに遅かったっけ」と愕然としたのですが、もうなるようにしかならないと思い、気持ちで走っていました。最後の2キロ地点、「PBが出せる」とわかった時、勝田の後で神野さんに言われた「残念だったね」という言葉を思い出し、1秒でも更新しようと無我夢中で走りました。ゴールしたら念願のPB(3時間9分46秒)。RETOのメンバーがいて、うれしくて涙がこみ上げてきました。練習会での神野さんからのPB発表の時はドキドキしたし、あの嬉しさは忘れられません。 ホノルルマラソンがはじまり 私がマラソンを始めたのは、近所に出来たスポーツクラブに入り、ホノルルマラソンのポスターを見て、私も走りたいと思ったからです。それまで走るのは嫌いだったんですが、そこからトレッドミルで毎日5キロを走り始めました。だんだん走ることが楽しくなり、ハマっていきました。ノリでマラソン大会に初めて出た時は、上下ウインドブレーカーで時計はスポーツ系じゃなく、おしゃれ系で走ったんです。今ならあり得ないですね(笑) 信越五岳への決意 もともと山が好きで、小さい頃からよく山を登っていました。RETOに入る前は山ばかり行っていたくらいで、トレイルランニングは大好きな趣味の一つです。今年は、トレイルランニングレースの信越五岳110キロで結果を出したいと思っています。昨年は夏に怪我してスタート地点に立つので精一杯で、完走できたことに満足でしたが、今年は記録にこだわりたくて。有名なトレイルランナーの方が「マラソンとトレイルは別もの」と教えてくださったので、そこで勝負するためにはトレイルに特化した練習をこの春、夏にしないとだめだと思い、他に数レース予定しているので、RETOから一時、離れることにしました。 お互いを高め合う環境 普段から一人で走ることが多く、RETOでもどちらかというと一匹狼的な感じで、みんなとめちゃくちゃ仲良くなる感じではないのですが、みんなから刺激をたくさんもらっていたから、一時期でもRETOから離れるのは、やっぱりちょっと寂しいです。スピード練習の後とか、みんな地べたに座りこんで握手したり、肩を叩きあったりしているじゃないですか。そういう姿を見ていると、いいなと思いますね。私は、まだそこまで追い込めていないけど、「やらないと」と思わせてくれたのはRETOのおかげです。あと、応援が本当に素晴らしいですね。レースでRETOのメンバーが応援に来てくれた時、あと数キロ頑張ればみんなに会えると思うとめちゃくちゃ力が出ます。そのために走るみたいな感じだったので、応援の力はすごいなと思いました。 ふたたびロードへ トレイルの挑戦が終わったら、またRETOに戻ってきます。ロードの目標は、サブ3に近いところまで行くこと。コーチの聖也(高木)さんには、「本番に強い」と言われたことがありますが、私もなんとなくそうだなぁと自覚しているところがあります。これからも本番で強い所を見せ、結果を出していきたいと思っています。 また神野さんにPB発表してもらうために。

エンブレムのプライドを胸に走る
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール A+チーム(目標:サブ2時間50分)MVP 渡部健太さん 途中まで300点のレース 東京マラソンでPB(2時間49分51秒)を出せて嬉しかったです。 37キロまでは300点ぐらいのレース展開でした。そこでもう自己ベストはほぼ確信したのですが、サブエガ(2時間50分切り)を出す上ではそこからの5キロがめちゃくちゃしんどかったです。38キロでキロ4分ぐらいに落ちて、別にPB更新で満足するのでもよかったんですけど、50分を切れる可能性があるのにその栄光を自ら手放すのは嫌でした。 覚悟を決めて走った東京マラソン 東京マラソンは、そもそも当選しないと走れないので、今後、走れるかどうかわからない。人生、最初で最後の覚悟で臨んだので、ここでやり切らなかったら絶対に後悔すると思って、39キロからのラスト3キロは必死で盛り返しました。 確か残り2キロ地点だったと思うんですけど、そこでのRETOのみなさんの応援は、めっちゃ響きました。この時はマジで上げないと50分切りが出来ないと思ったのですが、その背中を押してもらいました。 ウルトラの経験が活きた サブエガを達成できたのはウルトラマラソンの経験が活きたからだと思います。100キロをひとりで淡々と走っていくことでメンタルが相当に鍛えられました。あと、しんどくなった時の対処法も学びました。キツくなって「なんで自分は走っているんだろう」と考えた途端にその時点で一気に落ちてしまいます。そう考える時点でポジティブではなくなっているので、絶対に考えないように遠くの景色を見たり、聴いている音楽を口ずさんだりして、走ることから気持ちをそらしています。東京マラソンの時も普段、東京の街の真ん中なんか走れないじゃないですか。そこを走ること、そして見える景色を十分に楽しもうと思って途中キョロキョロしながら走りました。それでちょっと疲れて(苦笑)。でも、最終的にそうやって気を紛らわして走れたことが良い結果に繋がったと思います。 X(旧Twitter)で存在が拡散 東京を走った時も感じましたが応援がすごく力になるし、反対にするのも楽しいですね。それは自分が北海道コンサドーレ札幌というサッカーチームを熱く応援していることが大きいのかなと思います。ユニフォームが赤黒で目立つし、それを着て走ると沿道の人がすごく声をかけてくれるんです。東京では、残り5キロの田町の付近ではいろんなユニフォームを着た人が応援していて、チームの応援歌を歌ってくれました。その地点で応援していた札幌サポーターの方に「Jリーグのユニフォーム着たランナーで1位は昨年の限定ユニフォームで背番号6中村選手の方です!」と、ハッシュタグも添えてXで拡散されたんです。あとで「それ自分です」と返信して盛り上がりました(笑)。エンブレムを背負って走るのは、RETO タンクを着て走るのと同じで、自分がその代表みたいな意識になります。だから、恥ずかしい走りができないし、他のチームのユニフォームを着た人には負けられないと思って走りました。 4歳からコンサドーレ札幌と歩む コンサドーレは4歳の時からファンです。当時のホームスタジアムが家から歩いて20分ぐらいだったのでよく観に行っていました。保育園の頃にコンサドーレのサッカースクールに入って、そこで仲良くなった子の両親が応援団の人でした。それがきっかけで今でもできるだけ試合に行くようにして、ゴール裏で飛び跳ねたり、旗を振ったりして応援しています。もし、練習会で声が潰れていたら察してください。コンサドーレは僕の人生そのものです。 地元・札幌でPBを狙う 次の最大の目標は、北海道マラソンでサブエガを出すこと。僕の地元ですし、RETOを始め、友人や家族の応援がすごいと思うので、楽しみです。東京マラソンよりも厳しいコンディションになるのは間違いないと思うんですけど、そこで自己ベストを出すことができたら、それ以上に最高のことはないので(笑)。
エンブレムのプライドを胸に走る
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール A+チーム(目標:サブ2時間50分)MVP 渡部健太さん 途中まで300点のレース 東京マラソンでPB(2時間49分51秒)を出せて嬉しかったです。 37キロまでは300点ぐらいのレース展開でした。そこでもう自己ベストはほぼ確信したのですが、サブエガ(2時間50分切り)を出す上ではそこからの5キロがめちゃくちゃしんどかったです。38キロでキロ4分ぐらいに落ちて、別にPB更新で満足するのでもよかったんですけど、50分を切れる可能性があるのにその栄光を自ら手放すのは嫌でした。 覚悟を決めて走った東京マラソン 東京マラソンは、そもそも当選しないと走れないので、今後、走れるかどうかわからない。人生、最初で最後の覚悟で臨んだので、ここでやり切らなかったら絶対に後悔すると思って、39キロからのラスト3キロは必死で盛り返しました。 確か残り2キロ地点だったと思うんですけど、そこでのRETOのみなさんの応援は、めっちゃ響きました。この時はマジで上げないと50分切りが出来ないと思ったのですが、その背中を押してもらいました。 ウルトラの経験が活きた サブエガを達成できたのはウルトラマラソンの経験が活きたからだと思います。100キロをひとりで淡々と走っていくことでメンタルが相当に鍛えられました。あと、しんどくなった時の対処法も学びました。キツくなって「なんで自分は走っているんだろう」と考えた途端にその時点で一気に落ちてしまいます。そう考える時点でポジティブではなくなっているので、絶対に考えないように遠くの景色を見たり、聴いている音楽を口ずさんだりして、走ることから気持ちをそらしています。東京マラソンの時も普段、東京の街の真ん中なんか走れないじゃないですか。そこを走ること、そして見える景色を十分に楽しもうと思って途中キョロキョロしながら走りました。それでちょっと疲れて(苦笑)。でも、最終的にそうやって気を紛らわして走れたことが良い結果に繋がったと思います。 X(旧Twitter)で存在が拡散 東京を走った時も感じましたが応援がすごく力になるし、反対にするのも楽しいですね。それは自分が北海道コンサドーレ札幌というサッカーチームを熱く応援していることが大きいのかなと思います。ユニフォームが赤黒で目立つし、それを着て走ると沿道の人がすごく声をかけてくれるんです。東京では、残り5キロの田町の付近ではいろんなユニフォームを着た人が応援していて、チームの応援歌を歌ってくれました。その地点で応援していた札幌サポーターの方に「Jリーグのユニフォーム着たランナーで1位は昨年の限定ユニフォームで背番号6中村選手の方です!」と、ハッシュタグも添えてXで拡散されたんです。あとで「それ自分です」と返信して盛り上がりました(笑)。エンブレムを背負って走るのは、RETO タンクを着て走るのと同じで、自分がその代表みたいな意識になります。だから、恥ずかしい走りができないし、他のチームのユニフォームを着た人には負けられないと思って走りました。 4歳からコンサドーレ札幌と歩む コンサドーレは4歳の時からファンです。当時のホームスタジアムが家から歩いて20分ぐらいだったのでよく観に行っていました。保育園の頃にコンサドーレのサッカースクールに入って、そこで仲良くなった子の両親が応援団の人でした。それがきっかけで今でもできるだけ試合に行くようにして、ゴール裏で飛び跳ねたり、旗を振ったりして応援しています。もし、練習会で声が潰れていたら察してください。コンサドーレは僕の人生そのものです。 地元・札幌でPBを狙う 次の最大の目標は、北海道マラソンでサブエガを出すこと。僕の地元ですし、RETOを始め、友人や家族の応援がすごいと思うので、楽しみです。東京マラソンよりも厳しいコンディションになるのは間違いないと思うんですけど、そこで自己ベストを出すことができたら、それ以上に最高のことはないので(笑)。

子どもたち、ありがとう
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール Cチーム(目標サブ4)MVP 吉岡美帆さん 半年間続いた介護 MVPは、ちょっと狙っていました(笑)。 マラソンは、年1回しか走らないので、東京マラソンでPBを出さないといけないと思っていたんですけど、見事にハマりました(笑)。 私は、昨年の5月から10月まで6カ月間、RETOを離れて11月から復帰しました。その間、犬の介護をしていたのです。私には子どもがいないので、犬が家族同然でした。パピヨン夫婦と3匹の子どもに恵まれたんですが、末っ子は友人のところに行き、私のところに最後までいてくれたのが次男坊だったんです。介護が必要になり、1日3時間程度しか寝られず、それが半年間つづきました。それまでRETOで走っていたおかげで体力がついていたので、なんとか支えることができたので走っていて良かったなと思いましたね。 再び走り始めた理由 最後、公園に散歩に行って、そこで看取ったのですが、良い見送りができたことで自分なりに納得することができました。RETOに戻ったのは、「このまま泣いて暮らしていてもしょうがないよ。自分のやりたいことをやりなよ」って、あの子が背中を押してくれたからで、私自身も前を向いて生きたいと思ったからです。 苦しんだ東京までの道程 第7クールから復帰したのは、東京マラソンに間に合うかもしれないと思ったのもあります。でも、実際に戻ると前にいたチームの人は上のチームに昇格し、新しい人も増えてちょっとアウェイ感がありました(笑)。走りは、それまで半年間、ほとんど走っていなくて月で10キロから20キロ、6カ月のトータルで100キロぐらいでした。当然、練習会のメニューにはついていけなくて、このままだとダメになる。とにかく練習会に参加し、走る習慣を取り戻そうとタムケン練を始め、自主練に参加するようにしました。 自分を信じてスタートへ 1月の富津合宿は、自分の現状を確認しようと参加したのですが、1キロのインターバルがダメで、翌日のロング走もほとんど走れずにリタイヤしてめちゃくちゃへこみました。2月に小田鎌をいつもより速いペースで走り切って、少し自信が取り戻せたのですが、足に骨棘が出来て、すごく痛かったんです。それでななちゃん(野崎菜七子さん)に相談したら「対外衝撃波がいいんじゃない」って言われて、「どうかな」と思ってやってみたら、うれしいことに2回で痛みが取れたんです。それから痛みが出なかったので、あとは自分を信じてスタートしようと東京マラソンに臨みました。 子どもたちにありがとう レースは、うちの子たちの遺骨を入れて作った指輪をつけ、次男坊が車イスの時の履いていた靴下をポケットに入れて走りました。RETOの仲間や家族の応援とかがあって元気をたくさんもらいましたし、うちの子たちが一緒に走ってくれた感じがして、最後までがんばることができました。昨年の名古屋ウィメンズではゴールした後、号泣したんですけど、今回は胸がいっぱいでしたが涙はなく、晴れ晴れとした気持ちになり、本当に走ってよかったと思いました。 Cで先頭を走る覚悟 今シーズンは、3時間45分を切ることが大きな目標ですが、まずはCチームで先頭で走れるようになりたいと思っています。練習は、最初はペースの設定通りに走り、ラスト1周はフリーとかになるじゃないですか。その時、前で走っていると抜かれる時に邪魔だなとか考えてしまうんです。今は、そのフリーでみんなに勝てる気がしないので、走れるようになったら先頭で走り、そのままフリーでも先頭で練習を終えられるようになりたいですね。それは、若い人に負けないとかではなく、私は50歳半ばですが、その年齢になってもやろうとも思えばできるし、目標を持てばいくつになってもがんばれるんだよというのを伝えていきたいからです。そうして、ランニングを楽しくつづけていけたらといいなと思っています。
子どもたち、ありがとう
RRC member interview text:Shun Sato 第8クール Cチーム(目標サブ4)MVP 吉岡美帆さん 半年間続いた介護 MVPは、ちょっと狙っていました(笑)。 マラソンは、年1回しか走らないので、東京マラソンでPBを出さないといけないと思っていたんですけど、見事にハマりました(笑)。 私は、昨年の5月から10月まで6カ月間、RETOを離れて11月から復帰しました。その間、犬の介護をしていたのです。私には子どもがいないので、犬が家族同然でした。パピヨン夫婦と3匹の子どもに恵まれたんですが、末っ子は友人のところに行き、私のところに最後までいてくれたのが次男坊だったんです。介護が必要になり、1日3時間程度しか寝られず、それが半年間つづきました。それまでRETOで走っていたおかげで体力がついていたので、なんとか支えることができたので走っていて良かったなと思いましたね。 再び走り始めた理由 最後、公園に散歩に行って、そこで看取ったのですが、良い見送りができたことで自分なりに納得することができました。RETOに戻ったのは、「このまま泣いて暮らしていてもしょうがないよ。自分のやりたいことをやりなよ」って、あの子が背中を押してくれたからで、私自身も前を向いて生きたいと思ったからです。 苦しんだ東京までの道程 第7クールから復帰したのは、東京マラソンに間に合うかもしれないと思ったのもあります。でも、実際に戻ると前にいたチームの人は上のチームに昇格し、新しい人も増えてちょっとアウェイ感がありました(笑)。走りは、それまで半年間、ほとんど走っていなくて月で10キロから20キロ、6カ月のトータルで100キロぐらいでした。当然、練習会のメニューにはついていけなくて、このままだとダメになる。とにかく練習会に参加し、走る習慣を取り戻そうとタムケン練を始め、自主練に参加するようにしました。 自分を信じてスタートへ 1月の富津合宿は、自分の現状を確認しようと参加したのですが、1キロのインターバルがダメで、翌日のロング走もほとんど走れずにリタイヤしてめちゃくちゃへこみました。2月に小田鎌をいつもより速いペースで走り切って、少し自信が取り戻せたのですが、足に骨棘が出来て、すごく痛かったんです。それでななちゃん(野崎菜七子さん)に相談したら「対外衝撃波がいいんじゃない」って言われて、「どうかな」と思ってやってみたら、うれしいことに2回で痛みが取れたんです。それから痛みが出なかったので、あとは自分を信じてスタートしようと東京マラソンに臨みました。 子どもたちにありがとう レースは、うちの子たちの遺骨を入れて作った指輪をつけ、次男坊が車イスの時の履いていた靴下をポケットに入れて走りました。RETOの仲間や家族の応援とかがあって元気をたくさんもらいましたし、うちの子たちが一緒に走ってくれた感じがして、最後までがんばることができました。昨年の名古屋ウィメンズではゴールした後、号泣したんですけど、今回は胸がいっぱいでしたが涙はなく、晴れ晴れとした気持ちになり、本当に走ってよかったと思いました。 Cで先頭を走る覚悟 今シーズンは、3時間45分を切ることが大きな目標ですが、まずはCチームで先頭で走れるようになりたいと思っています。練習は、最初はペースの設定通りに走り、ラスト1周はフリーとかになるじゃないですか。その時、前で走っていると抜かれる時に邪魔だなとか考えてしまうんです。今は、そのフリーでみんなに勝てる気がしないので、走れるようになったら先頭で走り、そのままフリーでも先頭で練習を終えられるようになりたいですね。それは、若い人に負けないとかではなく、私は50歳半ばですが、その年齢になってもやろうとも思えばできるし、目標を持てばいくつになってもがんばれるんだよというのを伝えていきたいからです。そうして、ランニングを楽しくつづけていけたらといいなと思っています。

オフィシャルペーサーで得られた経験
第15回いわきサンシャインマラソン公式ペーサー text:Shun Sato RRCにペーサーの打診 2024年2月25日、第15回いわきサンシャインマラソンが開催された。 2000人のスタッフ・ボランティア、沿道で大勢の人が見守る中、5358人のランナーが出走したが、このレースでペーサーを任されたのが、RETO RUNNING CLUBだった。 キッカケは、大会運営担当者からRETO RUNNING CLUBコーチの高木聖也への打診だった。 「大会運営担当の方と知り合いで、RRCとして何かできないかという話をしている時、前年大会でペーサーがミスってしまったという話が出たんです。運営としては今回、同じミスは許されない。その時、ペーサーとしてご協力していただけませんかという話があったんです」 ペーサーを受諾すべきか否か 大会日程は、2月25日(日)だった。 レース当日は、大阪マラソンとかぶり、東京マラソンの1週間前、名古屋ウィメンズの2週間前に当たる。RRCのチームポリシーはそれぞれの目標を達成することにあり、それらのレースにエントリーしているメンバーが多数いた。 「メンバー個人の目標達成にとっては、ポジティブではない影響になる可能性もあるその時期にペーサーを引き受けていいものなのか、考えました。でも、僕らは個々が目標達成を目指して頑張っているのと同時に、メンバー間でお互いの目標の達成をサポートしていこうという文化があるじゃないですか。よく、メンバーから「RRCに入ってマラソンは団体スポーツだと思うようになりました」という声もあがります。大会に参加する多くのランナーの目標達成をサポートするペーサーという役割は、RRCの良さを自然にいかせるし、意味のあることなんじゃないかなと考えました」 手を挙げた8名のペーサー 受諾の返答をした後、RRC内でペーサーの募集をかけた。最終的にサブ3が高木コーチ、サブ3.5が新沼径さん、小倉昌さん、サブ4が中村修さん、平野寿謙さん、サブ5が成相陽平さん、三木俊弥さん、サブ6が金美淑さんに決まった。 「ペーサーの設定は、最終的に僕が決めさせてもらいました。一番大変だったのは、サブ6ですね。RRCのメンバーは普段走らないペースなので、引っ張ることが難しい。しかも、前年の大会ではそのペース設定でミスが起きたそうです。その設定を担当した金さんは大変だったと思いますが、事前に細かいタイムスケジュールを作られるなど入念に準備をして臨んでくれました」 8キロ関門通過を死守 そのサブ6のペーサーを任された金さんは、今回の応募動機について、こう語る。 「2020年に右胸にあった良性腫瘍の摘出手術をしたんですけど、昨年の健康診断で再び引っかかったんです。再発はしていなかったのですが、炎症を起こしていて次回の経過観察次第では走れなくなるので、走れるうちにいろんなことにチャレンジしておこうと応募しました。でも、私は遅いので『選ばれないだろうな』と思っていたんです。そうしたら聖也さんから連絡が来て、嬉しかったんですけど、サブ6の担当は私ひとりだったので、けっこう不安がありました」 最大の不安は、8キロ地点を含む5か所の関門をどうクリアするかだった。そのため金さんは各関門の通過を目指して、1キロごとのラップとエイドでの休憩時間を書き記し、それをビニール袋に入れてスタートした。 「いろいろ用意していったのですが、サブ6ぐらいの人って、関門の閉鎖時間だけが必要で、1キロごとのラップとか、必要ないんですよ。とにかく、最初の8キロの関門が気になっていたので、『あと、残り何分です』と大きな声で言いながらギリギリの人をフォローして前を追いかけて走るみたいな感じでした」 後半は、歩く人が増え、エイドでは食べ物など、エネルギーになるものがなくなっていた。金さんは自分用に持っていたジェルやタブレットをランナーに渡し、坂道で足がつっている人にコムロケアのゼリーを提供した。ペーサーというよりもナース的な役割を果たしていたのだ。 「最後は、『ちょっと速いよ』とか言われましたが、なんとかゴールできてホッとしました。ゴールすると運営の人が「時間通りにみなさん走り切れてよかったです。ありがとうございます」と喜んでくれて(笑)。マラソンを走って感謝されることってないですけど、感謝の言葉をたくさんいただきましたし、飲みものやつみれ汁を用意してくれるなど、手厚い待遇がうれしかったですね。ただ、やっぱりひとりのペーサーはキツいです。トイレも行けないですし、何かアクシデントがあったら対応できないじゃないですか。いくら遅くても責任は、サブ3もサブ6も変わらないので」 いわきに来た意味 サブ5担当の成相さんは、ペーサーの応募動機について、こう語る。 「今回、応募したのは、公認レースのペーサーにチャレンジしたかったのと、RETOの仲間と地方に行くことに魅力を感じたからです。ペーサーは初でしたが、つくばでなな(野崎七菜子さん)ちゃんと並走して、良い思い出が作れましたし、湘南国際で応援しながら走った時、記録を出すだけがマラソンじゃなくて、応援したり、サポートするのも楽しいなって思ったんです」 成相さんが今、目標とするサブ3.5のペースは4分57秒で、ペーサーの仕事であるサブ5は7分06秒ぐらいだ。レース前、皇居でサブ5のペースで試走すると遅すぎて走れず、スローで行っても6分45秒だった。...
オフィシャルペーサーで得られた経験
第15回いわきサンシャインマラソン公式ペーサー text:Shun Sato RRCにペーサーの打診 2024年2月25日、第15回いわきサンシャインマラソンが開催された。 2000人のスタッフ・ボランティア、沿道で大勢の人が見守る中、5358人のランナーが出走したが、このレースでペーサーを任されたのが、RETO RUNNING CLUBだった。 キッカケは、大会運営担当者からRETO RUNNING CLUBコーチの高木聖也への打診だった。 「大会運営担当の方と知り合いで、RRCとして何かできないかという話をしている時、前年大会でペーサーがミスってしまったという話が出たんです。運営としては今回、同じミスは許されない。その時、ペーサーとしてご協力していただけませんかという話があったんです」 ペーサーを受諾すべきか否か 大会日程は、2月25日(日)だった。 レース当日は、大阪マラソンとかぶり、東京マラソンの1週間前、名古屋ウィメンズの2週間前に当たる。RRCのチームポリシーはそれぞれの目標を達成することにあり、それらのレースにエントリーしているメンバーが多数いた。 「メンバー個人の目標達成にとっては、ポジティブではない影響になる可能性もあるその時期にペーサーを引き受けていいものなのか、考えました。でも、僕らは個々が目標達成を目指して頑張っているのと同時に、メンバー間でお互いの目標の達成をサポートしていこうという文化があるじゃないですか。よく、メンバーから「RRCに入ってマラソンは団体スポーツだと思うようになりました」という声もあがります。大会に参加する多くのランナーの目標達成をサポートするペーサーという役割は、RRCの良さを自然にいかせるし、意味のあることなんじゃないかなと考えました」 手を挙げた8名のペーサー 受諾の返答をした後、RRC内でペーサーの募集をかけた。最終的にサブ3が高木コーチ、サブ3.5が新沼径さん、小倉昌さん、サブ4が中村修さん、平野寿謙さん、サブ5が成相陽平さん、三木俊弥さん、サブ6が金美淑さんに決まった。 「ペーサーの設定は、最終的に僕が決めさせてもらいました。一番大変だったのは、サブ6ですね。RRCのメンバーは普段走らないペースなので、引っ張ることが難しい。しかも、前年の大会ではそのペース設定でミスが起きたそうです。その設定を担当した金さんは大変だったと思いますが、事前に細かいタイムスケジュールを作られるなど入念に準備をして臨んでくれました」 8キロ関門通過を死守 そのサブ6のペーサーを任された金さんは、今回の応募動機について、こう語る。 「2020年に右胸にあった良性腫瘍の摘出手術をしたんですけど、昨年の健康診断で再び引っかかったんです。再発はしていなかったのですが、炎症を起こしていて次回の経過観察次第では走れなくなるので、走れるうちにいろんなことにチャレンジしておこうと応募しました。でも、私は遅いので『選ばれないだろうな』と思っていたんです。そうしたら聖也さんから連絡が来て、嬉しかったんですけど、サブ6の担当は私ひとりだったので、けっこう不安がありました」 最大の不安は、8キロ地点を含む5か所の関門をどうクリアするかだった。そのため金さんは各関門の通過を目指して、1キロごとのラップとエイドでの休憩時間を書き記し、それをビニール袋に入れてスタートした。 「いろいろ用意していったのですが、サブ6ぐらいの人って、関門の閉鎖時間だけが必要で、1キロごとのラップとか、必要ないんですよ。とにかく、最初の8キロの関門が気になっていたので、『あと、残り何分です』と大きな声で言いながらギリギリの人をフォローして前を追いかけて走るみたいな感じでした」 後半は、歩く人が増え、エイドでは食べ物など、エネルギーになるものがなくなっていた。金さんは自分用に持っていたジェルやタブレットをランナーに渡し、坂道で足がつっている人にコムロケアのゼリーを提供した。ペーサーというよりもナース的な役割を果たしていたのだ。 「最後は、『ちょっと速いよ』とか言われましたが、なんとかゴールできてホッとしました。ゴールすると運営の人が「時間通りにみなさん走り切れてよかったです。ありがとうございます」と喜んでくれて(笑)。マラソンを走って感謝されることってないですけど、感謝の言葉をたくさんいただきましたし、飲みものやつみれ汁を用意してくれるなど、手厚い待遇がうれしかったですね。ただ、やっぱりひとりのペーサーはキツいです。トイレも行けないですし、何かアクシデントがあったら対応できないじゃないですか。いくら遅くても責任は、サブ3もサブ6も変わらないので」 いわきに来た意味 サブ5担当の成相さんは、ペーサーの応募動機について、こう語る。 「今回、応募したのは、公認レースのペーサーにチャレンジしたかったのと、RETOの仲間と地方に行くことに魅力を感じたからです。ペーサーは初でしたが、つくばでなな(野崎七菜子さん)ちゃんと並走して、良い思い出が作れましたし、湘南国際で応援しながら走った時、記録を出すだけがマラソンじゃなくて、応援したり、サポートするのも楽しいなって思ったんです」 成相さんが今、目標とするサブ3.5のペースは4分57秒で、ペーサーの仕事であるサブ5は7分06秒ぐらいだ。レース前、皇居でサブ5のペースで試走すると遅すぎて走れず、スローで行っても6分45秒だった。...