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サブ3が僕の人生を変えてくれた
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 前編 Text:Shun Sato セレクトショップの社員というより、ランナーがたまたまセレクトショップの社員だったという方が正しいかもしれない。マラソンを2時間47分で走り、いろんなレース、様々なイベントにゲストとして参加し、ラン二ングウエアの商品作りやプロモーションに携わる。 「ラン二ングに関わるすべてが楽しい」 そう語る牧野英明さんは、なぜ走り続けているのだろうか――。 セカンドチャンス到来 牧野さんがファッションに興味を持ち始めたのは、中学の頃だった。 「当時、バスケをやっていたんですけど、バッシュでエアジョーダンが人気があって、古着も流行っていたんです。親からすると中古の服に金を払うのってなんなんだって感じだと思うんですけど、シンプルに格好良かった。当時はギャル男かストリート系で人気が二分されていたんですけど、僕はストリート系が好きで『Boon』や『SMART』とかを見ていました。その頃、洋服に興味を持つようになったのが、自分にとって最初のタ-二ングポイントになりました」 大学に進学してからは、ファッションを追求する情熱がさらに高まった。卒業後もその道を目指そうと考えた。 「時代的に洋服の販売とか、あまり認められていないというか、それで生計を立てていくのが一般的じゃなかったんです。デザイナーへの憧れもなくて、それでも洋服関係の会社に就職したいと思っていろいろ受けました。全部ダメだったんですけど、そのなかで唯一、最終面接までいったのが大手セレクトショップのB社だったんです」 もしかしたら自分の好きなことを仕事にできるかもしれない。そう思っていたが、採用は不合格だった。 「縁がなかったんだなぁって思いましたね。でも、いろんなめぐり合わせがあって、アルバイトで採用してもらったんです。そこからさらに洋服好きが止まらなくなり、アルバイト代をすべて洋服につぎ込んで、借金まみれのような生活をしていました(苦笑)」 牧野さんにセカンドチャンスが訪れたのは、アルバイトとして働き始めた1年半後だった。中途採用に応募し、合格した。 「僕にとって1年半はすごく長く感じたんですけど、周囲には10年やっても社員になれない人もいた。そういう意味では社員になれたのは、すごくラッキーでした」 ダサくて格好悪いスポーツ 自分が好きなことを生業にできたわけだが、それから自分の趣味である洋服屋巡りをして、洋服を収集するなど、ファッション一筋の人生を突っ走った。 だが、自分の趣味を仕事にしてしまうと没頭し、それ以外、広がりを持てなくなってしまう。高校時代は陸上部でもともとスポーツが好きな牧野さんは、ある時、第2回東京マラソン(2008年)に申し込んだ。 「高校時代、陸上部だったんですけど、こんなにダサくて格好の悪いスポーツはやってられないと思ってやめちゃったんです。でも、たまにランニングするとスッキリするなーというのは思っていたんですよ。体型維持を兼ねて走っていたんですけど、ノリでとりあえずマラソンのエントリー登録をしたんです。そうしたら当選したんですけど、まさかお金を払うとは思っていなくて(苦笑)。1万円も払うんかいって思ったんですけど、払えばもったいないから走るかなと思ってエントリーしました」 今から16年前の2008年、日本のラン二ングシーンは、2007年に開催された東京マラソンをキッカケに徐々にその熱が高まりつつあった。だが、今のような爆発的なランニングブームまでには至らず、どちらかというとまだ夜明け前という感じだった。 「当時は、ラン二ングがまだクールなものじゃなくて、走っている人も白いタンクトップに短いパンツみたいな感じだったんですよ(笑)。うちの会社からマラソンに出る人なんていなかったですし、洋服屋周りの人も誰も走っていなかった。僕はファッションの世界で仕事をしているけど、『あえてそういうダサい感じのことをやっているんだぜ』みたいな、ちょっと斜に構えた感じでラン二ングをやっていたんです」 タイムが名刺 2000年代のラン二ングは、あか抜けないスポーツで、牧野さんにとってはラン二ングもある意味、他者との違いをアピールするファッションのひとつみたいな位置付だったのかもしれない。もうひとつ本気になり切れない意識を変えてくれたのが、ラン二ングクラブとの出会いだった。...
サブ3が僕の人生を変えてくれた
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 前編 Text:Shun Sato セレクトショップの社員というより、ランナーがたまたまセレクトショップの社員だったという方が正しいかもしれない。マラソンを2時間47分で走り、いろんなレース、様々なイベントにゲストとして参加し、ラン二ングウエアの商品作りやプロモーションに携わる。 「ラン二ングに関わるすべてが楽しい」 そう語る牧野英明さんは、なぜ走り続けているのだろうか――。 セカンドチャンス到来 牧野さんがファッションに興味を持ち始めたのは、中学の頃だった。 「当時、バスケをやっていたんですけど、バッシュでエアジョーダンが人気があって、古着も流行っていたんです。親からすると中古の服に金を払うのってなんなんだって感じだと思うんですけど、シンプルに格好良かった。当時はギャル男かストリート系で人気が二分されていたんですけど、僕はストリート系が好きで『Boon』や『SMART』とかを見ていました。その頃、洋服に興味を持つようになったのが、自分にとって最初のタ-二ングポイントになりました」 大学に進学してからは、ファッションを追求する情熱がさらに高まった。卒業後もその道を目指そうと考えた。 「時代的に洋服の販売とか、あまり認められていないというか、それで生計を立てていくのが一般的じゃなかったんです。デザイナーへの憧れもなくて、それでも洋服関係の会社に就職したいと思っていろいろ受けました。全部ダメだったんですけど、そのなかで唯一、最終面接までいったのが大手セレクトショップのB社だったんです」 もしかしたら自分の好きなことを仕事にできるかもしれない。そう思っていたが、採用は不合格だった。 「縁がなかったんだなぁって思いましたね。でも、いろんなめぐり合わせがあって、アルバイトで採用してもらったんです。そこからさらに洋服好きが止まらなくなり、アルバイト代をすべて洋服につぎ込んで、借金まみれのような生活をしていました(苦笑)」 牧野さんにセカンドチャンスが訪れたのは、アルバイトとして働き始めた1年半後だった。中途採用に応募し、合格した。 「僕にとって1年半はすごく長く感じたんですけど、周囲には10年やっても社員になれない人もいた。そういう意味では社員になれたのは、すごくラッキーでした」 ダサくて格好悪いスポーツ 自分が好きなことを生業にできたわけだが、それから自分の趣味である洋服屋巡りをして、洋服を収集するなど、ファッション一筋の人生を突っ走った。 だが、自分の趣味を仕事にしてしまうと没頭し、それ以外、広がりを持てなくなってしまう。高校時代は陸上部でもともとスポーツが好きな牧野さんは、ある時、第2回東京マラソン(2008年)に申し込んだ。 「高校時代、陸上部だったんですけど、こんなにダサくて格好の悪いスポーツはやってられないと思ってやめちゃったんです。でも、たまにランニングするとスッキリするなーというのは思っていたんですよ。体型維持を兼ねて走っていたんですけど、ノリでとりあえずマラソンのエントリー登録をしたんです。そうしたら当選したんですけど、まさかお金を払うとは思っていなくて(苦笑)。1万円も払うんかいって思ったんですけど、払えばもったいないから走るかなと思ってエントリーしました」 今から16年前の2008年、日本のラン二ングシーンは、2007年に開催された東京マラソンをキッカケに徐々にその熱が高まりつつあった。だが、今のような爆発的なランニングブームまでには至らず、どちらかというとまだ夜明け前という感じだった。 「当時は、ラン二ングがまだクールなものじゃなくて、走っている人も白いタンクトップに短いパンツみたいな感じだったんですよ(笑)。うちの会社からマラソンに出る人なんていなかったですし、洋服屋周りの人も誰も走っていなかった。僕はファッションの世界で仕事をしているけど、『あえてそういうダサい感じのことをやっているんだぜ』みたいな、ちょっと斜に構えた感じでラン二ングをやっていたんです」 タイムが名刺 2000年代のラン二ングは、あか抜けないスポーツで、牧野さんにとってはラン二ングもある意味、他者との違いをアピールするファッションのひとつみたいな位置付だったのかもしれない。もうひとつ本気になり切れない意識を変えてくれたのが、ラン二ングクラブとの出会いだった。...

プロジェクトのペーサー経験が僕を成長させてくれた
RRC member interview text:Shun Sato 第7クールA2チーム(目標:サブ3時間10分)MVP 飯山恵一郎さん リレーマラソンで負傷 昨年12月のBeyondで、3時間09分07秒の自己ベストを出せたのですが、実をいうと「よく出たな」という感じでした。 Beyondの1か月ぐらい前に上尾ハーフで自己ベストに近いタイムを出し、よい気分のままリレーマラソンに向かいました。出場して上位に入れば、東京マラソンの出場権を得られるというので、欲張って出たんです(苦笑)。アップは、もうハーフ走って来たので十分だと思い、いきなりトップスピードで500mぐらい走ったらハムストリングが肉離れを起こして‥‥かなり痛かったですね。その1週間後に、つくばマラソンがあったんですが当然、出走できず、Beyondに目標を切り替えました。幸い軽度だったのでよかったですが、ハーフを走った後、やめておけばいいのに調子に乗って走ったのが自分の不注意というか、ミスジャッジでした。 感じた応援のパワー Beyondは、周回コースなので、1周まわって帰ってくるごとにRETOのみんなの応援でパワーをもらえるので、それが楽しみでした。給水をお願いしていたんですけど、1周するごとに給水してくれる人が変わって、それもすごく励みになりましたし、力になりました。 意識の変化 今回、自己ベストを出せたのは、練習やマラソンに対する姿勢や意識が変わったことが大きかったです。僕は1期生ですが、最初の頃は、走るのは休みの時だけで、仕事の前後に走るとかほとんどしなかったんです。今は、仕事の前後も余裕があれば走るようになりました。 実感した自分の甘さ 走ることに意欲的になったのは、昨年の富津での練習会がキッカケでした。あるプロジェクトを兼ねての練習会だったんですが、雨予報で来れない人が出た中、プロジェクトに関わる人はみんな参加したんです。走り終わった後、練習方法やマラソンに対する考え方とか、話をしていくなかで、自分自身を振り返ると、練習に対する考え方がまだまだ甘いと思えたんです。 仲間からの刺激 特に、絵(片山)さんの話は、刺激になりました。結果を出している人は、距離を走っていますが、絵さんは、「ただ距離を走るのではなく、RETOの公式練習会の翌日に20キロの距離走を入れるといい」と教えてくれたのです。その練習を取り入れていくと明らかに走りが変わりましたし、月間走行距離が200キロから300キロに増えました。ストラバも勧められて始めましたが、みんな走っているのがわかるのでモチベーションが上がりましたね。今は、走らないと気持ち悪くなるというか、走らないと1日がスタートしないみたいな感じになっています(笑)。 プロジェクトで得た経験 あるプロジェクトでペーサーを経験できたことも僕にとっては非常に大きかったです。ペーサーとしてランナーを成功に導くには、単純に平均的に走ればいいというわけではなくて、本命レースまでのスケジュールのプランニングを始め、コースを分析したり、ジェルや給水とか、誰がどのタイミングで渡すとか、いろいろ考えてやらないといけない。それをすべてやったからといって目標を達成できるわけではないところがマラソンの難しさですが、そういうことを自分のレースに当てはめた時、まだ足りていないと思いました。そういう意味ではすごくいい経験になりましたし、勉強になりました。それを今後のマラソンに活かして、目標のサブ3に少しでも近づいていきたいです。
プロジェクトのペーサー経験が僕を成長させてくれた
RRC member interview text:Shun Sato 第7クールA2チーム(目標:サブ3時間10分)MVP 飯山恵一郎さん リレーマラソンで負傷 昨年12月のBeyondで、3時間09分07秒の自己ベストを出せたのですが、実をいうと「よく出たな」という感じでした。 Beyondの1か月ぐらい前に上尾ハーフで自己ベストに近いタイムを出し、よい気分のままリレーマラソンに向かいました。出場して上位に入れば、東京マラソンの出場権を得られるというので、欲張って出たんです(苦笑)。アップは、もうハーフ走って来たので十分だと思い、いきなりトップスピードで500mぐらい走ったらハムストリングが肉離れを起こして‥‥かなり痛かったですね。その1週間後に、つくばマラソンがあったんですが当然、出走できず、Beyondに目標を切り替えました。幸い軽度だったのでよかったですが、ハーフを走った後、やめておけばいいのに調子に乗って走ったのが自分の不注意というか、ミスジャッジでした。 感じた応援のパワー Beyondは、周回コースなので、1周まわって帰ってくるごとにRETOのみんなの応援でパワーをもらえるので、それが楽しみでした。給水をお願いしていたんですけど、1周するごとに給水してくれる人が変わって、それもすごく励みになりましたし、力になりました。 意識の変化 今回、自己ベストを出せたのは、練習やマラソンに対する姿勢や意識が変わったことが大きかったです。僕は1期生ですが、最初の頃は、走るのは休みの時だけで、仕事の前後に走るとかほとんどしなかったんです。今は、仕事の前後も余裕があれば走るようになりました。 実感した自分の甘さ 走ることに意欲的になったのは、昨年の富津での練習会がキッカケでした。あるプロジェクトを兼ねての練習会だったんですが、雨予報で来れない人が出た中、プロジェクトに関わる人はみんな参加したんです。走り終わった後、練習方法やマラソンに対する考え方とか、話をしていくなかで、自分自身を振り返ると、練習に対する考え方がまだまだ甘いと思えたんです。 仲間からの刺激 特に、絵(片山)さんの話は、刺激になりました。結果を出している人は、距離を走っていますが、絵さんは、「ただ距離を走るのではなく、RETOの公式練習会の翌日に20キロの距離走を入れるといい」と教えてくれたのです。その練習を取り入れていくと明らかに走りが変わりましたし、月間走行距離が200キロから300キロに増えました。ストラバも勧められて始めましたが、みんな走っているのがわかるのでモチベーションが上がりましたね。今は、走らないと気持ち悪くなるというか、走らないと1日がスタートしないみたいな感じになっています(笑)。 プロジェクトで得た経験 あるプロジェクトでペーサーを経験できたことも僕にとっては非常に大きかったです。ペーサーとしてランナーを成功に導くには、単純に平均的に走ればいいというわけではなくて、本命レースまでのスケジュールのプランニングを始め、コースを分析したり、ジェルや給水とか、誰がどのタイミングで渡すとか、いろいろ考えてやらないといけない。それをすべてやったからといって目標を達成できるわけではないところがマラソンの難しさですが、そういうことを自分のレースに当てはめた時、まだ足りていないと思いました。そういう意味ではすごくいい経験になりましたし、勉強になりました。それを今後のマラソンに活かして、目標のサブ3に少しでも近づいていきたいです。

Beyondの悔しさを乗り越えて
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール A+チーム(目標:サブ2時間50分)MVP 片山絵さん Beyond2022の悔しさ 青島大平洋マラソンでサブ3を達成し、PB(2時間51分34秒)を出せたのは、練習とその取り組み方を変えたのが大きいです。まずサブ3狙いの練習をしてサブ3達成ではなく、サブエガ(2時間50分切りのこと)の練習をしてサブ3を出すという方向性に変えました。練習で重視したのは、距離を踏むことです。当初は距離を踏むのに抵抗感があって、いかにコスパ良く走るかと、甘いことを考えていました。でも、2022年のBeyondで、マラソンは10キロ、20キロを走っただけじゃ強くならないし、走りきれないと思い知らされたんです。 参考にした仲間の練習 参考にしたのは、カラッペ(唐津孝二さん)の練習でした。ゴールドコーストマラソンで結果を出した際の練習を見ると、RETOのポイント練習の翌日にミディアムロング走を入れ、早朝にも関わらずポイント練もこなし、更に週1でロング走を必ず入れていました。そのメニューを取り入れつつも、ミディアムロング走やロング走はペースではなく、心拍数で強度をコントロールするように変えました。ペースは起伏や風、気温などの、環境要因に左右されるので、練習目的に応じた心拍数で走るという練習方法を教えてもらい取り入れました。 積み上げてきたものを失う怖さ 走り終わった後のケアも重視しました。2022年のBeyondが終わった後、怪我をして1か月ぐらい走れなくなったんです。もともと左の腸脛靭帯が痛かったのが右も痛くなって、同時に鵞足炎も併発して違和感が取れるまで半年ぐらいかかりました。その時、積み上げてきたものが崩れていくような感覚になって、すごくイヤだったんです。そういう経験があったのでケアに時間をかけ、今も九十九里合宿の時に中野(ジェームズ修一)さんに教えていただいたストレッチを続けています。 染みついた意識 練習会で声を出しているのは、自分を鼓舞するのもありますが、みんなと一緒にメニューをやり切りたいという気持ちがあるからです。当初は、格好つけてクールにと思っていたけど、自分を解放して、声を出して盛り上げるようになったら、みんなも一緒に盛り上がってくれて、キツい練習メニューも一緒に乗り越えてこられました。声出しは学生時代にアメフト部でもやっていたことだったので、身体に染みついていました(笑)。 RETOの応援文化 RETOで応援文化が生まれてきたのは、昨年のレースシーズンからですかね。レースでメンバーを全力応援するのは好きで楽しくてやっていて、それはもう性格なんです(笑)。みんな、自分の目標達成のために練習をしていて、もちろんそれがメインではあるけど、徐々にメンバーが目標達成することがみんなの喜びになってきて、だから練習もみんなでやり遂げようみたいな空気が出来てきたのを感じました。目標を達成した人もいれば、苦い思いをする人もいる。僕も悔しい思いをしたし、PBも達成できた。自分を含めて、みんな、そういう苦しみや喜びを分かち合えるようになってきて、だからこそ一緒にがんばっていこうと応援したり、練習をしたりするムードがRETOの中に生まれてきたのかなと思います。 人生に欠かせないもの 僕にとってRETOは、今や自分の人生において欠かせないものになっています。この年齢になって、一緒に熱くなって、本気でマラソンに取り組める仲間と巡り合えて、本当に幸せだなと思います。
Beyondの悔しさを乗り越えて
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール A+チーム(目標:サブ2時間50分)MVP 片山絵さん Beyond2022の悔しさ 青島大平洋マラソンでサブ3を達成し、PB(2時間51分34秒)を出せたのは、練習とその取り組み方を変えたのが大きいです。まずサブ3狙いの練習をしてサブ3達成ではなく、サブエガ(2時間50分切りのこと)の練習をしてサブ3を出すという方向性に変えました。練習で重視したのは、距離を踏むことです。当初は距離を踏むのに抵抗感があって、いかにコスパ良く走るかと、甘いことを考えていました。でも、2022年のBeyondで、マラソンは10キロ、20キロを走っただけじゃ強くならないし、走りきれないと思い知らされたんです。 参考にした仲間の練習 参考にしたのは、カラッペ(唐津孝二さん)の練習でした。ゴールドコーストマラソンで結果を出した際の練習を見ると、RETOのポイント練習の翌日にミディアムロング走を入れ、早朝にも関わらずポイント練もこなし、更に週1でロング走を必ず入れていました。そのメニューを取り入れつつも、ミディアムロング走やロング走はペースではなく、心拍数で強度をコントロールするように変えました。ペースは起伏や風、気温などの、環境要因に左右されるので、練習目的に応じた心拍数で走るという練習方法を教えてもらい取り入れました。 積み上げてきたものを失う怖さ 走り終わった後のケアも重視しました。2022年のBeyondが終わった後、怪我をして1か月ぐらい走れなくなったんです。もともと左の腸脛靭帯が痛かったのが右も痛くなって、同時に鵞足炎も併発して違和感が取れるまで半年ぐらいかかりました。その時、積み上げてきたものが崩れていくような感覚になって、すごくイヤだったんです。そういう経験があったのでケアに時間をかけ、今も九十九里合宿の時に中野(ジェームズ修一)さんに教えていただいたストレッチを続けています。 染みついた意識 練習会で声を出しているのは、自分を鼓舞するのもありますが、みんなと一緒にメニューをやり切りたいという気持ちがあるからです。当初は、格好つけてクールにと思っていたけど、自分を解放して、声を出して盛り上げるようになったら、みんなも一緒に盛り上がってくれて、キツい練習メニューも一緒に乗り越えてこられました。声出しは学生時代にアメフト部でもやっていたことだったので、身体に染みついていました(笑)。 RETOの応援文化 RETOで応援文化が生まれてきたのは、昨年のレースシーズンからですかね。レースでメンバーを全力応援するのは好きで楽しくてやっていて、それはもう性格なんです(笑)。みんな、自分の目標達成のために練習をしていて、もちろんそれがメインではあるけど、徐々にメンバーが目標達成することがみんなの喜びになってきて、だから練習もみんなでやり遂げようみたいな空気が出来てきたのを感じました。目標を達成した人もいれば、苦い思いをする人もいる。僕も悔しい思いをしたし、PBも達成できた。自分を含めて、みんな、そういう苦しみや喜びを分かち合えるようになってきて、だからこそ一緒にがんばっていこうと応援したり、練習をしたりするムードがRETOの中に生まれてきたのかなと思います。 人生に欠かせないもの 僕にとってRETOは、今や自分の人生において欠かせないものになっています。この年齢になって、一緒に熱くなって、本気でマラソンに取り組める仲間と巡り合えて、本当に幸せだなと思います。

すべてを書き記した練習ノートが支えでした
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール B+チーム(目標:3時間19分59秒)MVP 笹辺恵さん RETOの応援に感謝 MVPをいただけたのは、つくばマラソンのPB(3時間25分18秒)ですよね。 4年前につくばで出したタイムを今回つくばで更新したんですけど、久しぶりのレースでもあり、どのくらいの設定でいこうか迷っていたんです。つっちー(土本優作さん)に「4分50秒を切らないぐらいで行った方がいいよ」と言われて、その通り、けっこういい感じで押せていけました。応援もすごくて、給水をしてもらったり、そういう連携プレーみたいなのはこれまで経験したことがなかったので、本当にありがたかったです(笑)。 走力アップの源 この1年で走力が伸びたのは、練習ノートのおかげかなと思っています。これはRETOに入ってからつけ始めました。最初はメニュ―だけ書いていたんですが、聖也さんのメニューでポイント練習した時にキツかったとか、意外とできたとか、感想やその時の感覚を書いていました。私は、一人で練習する時が多いので、メニューをこなす時はノートを見返して、この時いけたから今日もやれるとか、練習前から前向きな気持ちでいくようにしているんです。なぜなら、メニューができなかった時のダメ―ジが大きいからです。 自信をつけるために そもそも私は緊張しーで、メンタルもそれほど強くありません。RETOの練習会の時も聖也さんから事前にメニューは出ていても設定がなかなか出ないと「いったいいくつで走るんだ?!」って気になって、練習前からお腹が痛くなるんです。設定が出て、確認して「これなら絶対いける」って自分の気持ちを高めてから参加していました。レースの時も朝起きてから3回ぐらいトイレに行きます。普段の練習を丁寧にこなし、自信をつけていかないと不安になってしまうんです。それにレースは、最終的にはひとりで走らないといけないですし、自分との勝負になるわけじゃないですか。仕事や家庭の都合などでいろんな練習会に行けないことを逃げの口実にせず、ひとりでもノートを見ながら設定通りにメニューをこなしていかないと一人でマラソンを走り切るだけの自信が身につかないんです。そういうところは、「強い」と聖也さんに言われました。 考えて練習することの重要性 ただ、練習をこなしていても停滞時期があります。そうなると自分で考えて練習をすることが求められます。今、RETOは100人ぐらいのメンバーがいるので、コーチが全員に目をかけるのって難しいですし、何でも聞くのも良くないなって思っています。気が付いたことはノートに書き残し、今日はここがダメだったからこうしないといけないとか、自分でいろいろ考えさせてくれたことも走力がついてきた要因かなと思います。 心拍数をベースに 最近は、ペースだけを意識するのをやめて心拍数を見て、走るようになりました。絵さん(片山絵さん)から「追い込めているかどうか、心拍数で見た方がいいよ」って言われたので、 HRセンサーを購入し、練習の時に心拍数を確認しながら「160のまま走るとチョット落とさないといけない」とか、考えて走っています。 充実した23‐24シーズン RETOに入ってからの今シーズンは、朝から走ったり、夜に「美魔女練」をやらせてもらったり、これ以上ないくらい走ってきました。これで結果が出なかったら本当に死んでいたかもしれない(苦笑)。東京マラソンは、怪我の影響もあって、中途半端な結果になってしまいましたが、つくばでPBを出すことで最低限の結果を出せました。すべて満足とはいかないですが、とりあえずやり切れたのかなと思います。そういう意味ではこの1年は、本当に充実したシーズンでした。
すべてを書き記した練習ノートが支えでした
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール B+チーム(目標:3時間19分59秒)MVP 笹辺恵さん RETOの応援に感謝 MVPをいただけたのは、つくばマラソンのPB(3時間25分18秒)ですよね。 4年前につくばで出したタイムを今回つくばで更新したんですけど、久しぶりのレースでもあり、どのくらいの設定でいこうか迷っていたんです。つっちー(土本優作さん)に「4分50秒を切らないぐらいで行った方がいいよ」と言われて、その通り、けっこういい感じで押せていけました。応援もすごくて、給水をしてもらったり、そういう連携プレーみたいなのはこれまで経験したことがなかったので、本当にありがたかったです(笑)。 走力アップの源 この1年で走力が伸びたのは、練習ノートのおかげかなと思っています。これはRETOに入ってからつけ始めました。最初はメニュ―だけ書いていたんですが、聖也さんのメニューでポイント練習した時にキツかったとか、意外とできたとか、感想やその時の感覚を書いていました。私は、一人で練習する時が多いので、メニューをこなす時はノートを見返して、この時いけたから今日もやれるとか、練習前から前向きな気持ちでいくようにしているんです。なぜなら、メニューができなかった時のダメ―ジが大きいからです。 自信をつけるために そもそも私は緊張しーで、メンタルもそれほど強くありません。RETOの練習会の時も聖也さんから事前にメニューは出ていても設定がなかなか出ないと「いったいいくつで走るんだ?!」って気になって、練習前からお腹が痛くなるんです。設定が出て、確認して「これなら絶対いける」って自分の気持ちを高めてから参加していました。レースの時も朝起きてから3回ぐらいトイレに行きます。普段の練習を丁寧にこなし、自信をつけていかないと不安になってしまうんです。それにレースは、最終的にはひとりで走らないといけないですし、自分との勝負になるわけじゃないですか。仕事や家庭の都合などでいろんな練習会に行けないことを逃げの口実にせず、ひとりでもノートを見ながら設定通りにメニューをこなしていかないと一人でマラソンを走り切るだけの自信が身につかないんです。そういうところは、「強い」と聖也さんに言われました。 考えて練習することの重要性 ただ、練習をこなしていても停滞時期があります。そうなると自分で考えて練習をすることが求められます。今、RETOは100人ぐらいのメンバーがいるので、コーチが全員に目をかけるのって難しいですし、何でも聞くのも良くないなって思っています。気が付いたことはノートに書き残し、今日はここがダメだったからこうしないといけないとか、自分でいろいろ考えさせてくれたことも走力がついてきた要因かなと思います。 心拍数をベースに 最近は、ペースだけを意識するのをやめて心拍数を見て、走るようになりました。絵さん(片山絵さん)から「追い込めているかどうか、心拍数で見た方がいいよ」って言われたので、 HRセンサーを購入し、練習の時に心拍数を確認しながら「160のまま走るとチョット落とさないといけない」とか、考えて走っています。 充実した23‐24シーズン RETOに入ってからの今シーズンは、朝から走ったり、夜に「美魔女練」をやらせてもらったり、これ以上ないくらい走ってきました。これで結果が出なかったら本当に死んでいたかもしれない(苦笑)。東京マラソンは、怪我の影響もあって、中途半端な結果になってしまいましたが、つくばでPBを出すことで最低限の結果を出せました。すべて満足とはいかないですが、とりあえずやり切れたのかなと思います。そういう意味ではこの1年は、本当に充実したシーズンでした。

RETOの応援を受けて、だらしない走りはできない
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール A-1チーム(目標:サブ3)MVP 古山陽介さん 慢性的な足首の痛み つくばマラソンでのPB(3時間08分56秒)は、うれしかったですね(笑)。昨年3月の東京マラソンは、故障の痛みを抱えながら走って惨敗したのですが、つくばはなんとか持ちこたえてくれました。 僕は、高校時代、サッカー部だったのですが、シュートの際、相手DFと接触して足首の靭帯が伸びてしまい、それ以来、慢性的に足首に痛みを抱えています。RETO に入る前の走量は月間で100キロぐらいだったので、それほど痛むこともなく、痛みが出たとしても引きずることはなかったんです。でも、今は月間200キロを超えるようになり、40代という年齢も重なって治療しても痛みが抜けにくくなっています。 だらしない走りはできない この古傷は医者にも診てもらったのですが、根本的な治療方法がなく、強度を高めたり、距離を踏むと痛みが出てきてしまうので、ポイント練習やレースを走る際はしっかりテーピングをして、なんとかごまかしながら走っている感じです。つくばの時も途中から足首に痛みが出てきたんですけど、何とかPB更新できるタイムで走れていましたし、RETOのみんなの応援がありがたかった。だらしない走りはできないなって思いましたし、イッチー(市川貴洋さん)の併走応援と、ラストのつくば大学に入ったところでのカイ君(片山絵さん)の応援に救われました。 RETOとの運命的な出会い RETOとの出会いは、ある月曜日の夜でした。僕は、土日は子どもの面倒や習い事など家族サービス優先で練習がまともにできないので(1時間以内のジョグ程度)、月曜日の夜に二重橋で一人でポイント練習をしていたんです。その時、RETOの練習会を見ていて、「活気があっていいなぁ」と思っていました。月曜日の夜の練習会というのも自分のサイクルにぴったり合っていたので、縁があったのかなと思います(笑)。 人見知りな性格だけど 実は、それまでもいろんな練習会に出たりしていました。ただ、僕は、けっこう人見知りなので、その場で多少、話はするけど、なんとなくそこで終わっていたんです。でも、RETOは最初から打ち解けやすいメンバーばかりで、仕事もランニングも一生懸命にやっている姿に刺激を受けました。レース中の応援もこれまでは練習会で会った人がたまたま来ていて応援してくれるみたいな感じのレベルだったんですが、RETOは大応援団なので、応援のスポットまでちゃんと行かないといけないと思いますし、名前を呼ばれるとスイッチが入るので、本当にありがたいです。そんなみんなと一緒に走ったり、応援することができて、みんなに出会えてよかったなぁと思っています。 土日は家族優先 欲を言えば、土日の練習会とか合宿や応援にもっと参加していきたいです(苦笑)。でも、土日は家庭優先でなかなか家庭内稟議が通りません。先日の東京マラソンも気持ちよく走れたので(PBも更新)、打ち上げに行きたかったのですが、参加できず残念でした。小さい子どもを持つ家庭のランナーは、同じような環境にあると思いますが、子どもがもう少し大きくなったら土日も多少は融通が利くようになるのかなと思っています。 ナチュール会開催 今年の1月に練習会ではなく、ワイン会を催したのですが、すごく楽しかったです。懇親会の席で聖也さんと「ナチュラルワインが好きなんです」という話で盛り上がったのがきっかけで、ようやく開催できました。僕は、お酒が好きで、ほぼ毎日のペースで飲んでいます。特にワインが好きで、ずっとワインだけ飲んでいられるぐらい好きですね(笑)。RETOは、けっこう飲める人が多いですし、あと3店舗ほど、貸し切りで飲めそうなところがあるので、また機会を見て、「ワインの会」を開催できたらと考えています。ワイン以外のお酒も出してもらえるようにお店にお願いして参加者の間口拡大も計画中(笑)。もちろん、マラソンも今季は自己ベスト(東京マラソン:3時間06分01秒)を淡々と刻めたので、次のシーズンではサブ3を狙ってトレーニングします。
RETOの応援を受けて、だらしない走りはできない
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール A-1チーム(目標:サブ3)MVP 古山陽介さん 慢性的な足首の痛み つくばマラソンでのPB(3時間08分56秒)は、うれしかったですね(笑)。昨年3月の東京マラソンは、故障の痛みを抱えながら走って惨敗したのですが、つくばはなんとか持ちこたえてくれました。 僕は、高校時代、サッカー部だったのですが、シュートの際、相手DFと接触して足首の靭帯が伸びてしまい、それ以来、慢性的に足首に痛みを抱えています。RETO に入る前の走量は月間で100キロぐらいだったので、それほど痛むこともなく、痛みが出たとしても引きずることはなかったんです。でも、今は月間200キロを超えるようになり、40代という年齢も重なって治療しても痛みが抜けにくくなっています。 だらしない走りはできない この古傷は医者にも診てもらったのですが、根本的な治療方法がなく、強度を高めたり、距離を踏むと痛みが出てきてしまうので、ポイント練習やレースを走る際はしっかりテーピングをして、なんとかごまかしながら走っている感じです。つくばの時も途中から足首に痛みが出てきたんですけど、何とかPB更新できるタイムで走れていましたし、RETOのみんなの応援がありがたかった。だらしない走りはできないなって思いましたし、イッチー(市川貴洋さん)の併走応援と、ラストのつくば大学に入ったところでのカイ君(片山絵さん)の応援に救われました。 RETOとの運命的な出会い RETOとの出会いは、ある月曜日の夜でした。僕は、土日は子どもの面倒や習い事など家族サービス優先で練習がまともにできないので(1時間以内のジョグ程度)、月曜日の夜に二重橋で一人でポイント練習をしていたんです。その時、RETOの練習会を見ていて、「活気があっていいなぁ」と思っていました。月曜日の夜の練習会というのも自分のサイクルにぴったり合っていたので、縁があったのかなと思います(笑)。 人見知りな性格だけど 実は、それまでもいろんな練習会に出たりしていました。ただ、僕は、けっこう人見知りなので、その場で多少、話はするけど、なんとなくそこで終わっていたんです。でも、RETOは最初から打ち解けやすいメンバーばかりで、仕事もランニングも一生懸命にやっている姿に刺激を受けました。レース中の応援もこれまでは練習会で会った人がたまたま来ていて応援してくれるみたいな感じのレベルだったんですが、RETOは大応援団なので、応援のスポットまでちゃんと行かないといけないと思いますし、名前を呼ばれるとスイッチが入るので、本当にありがたいです。そんなみんなと一緒に走ったり、応援することができて、みんなに出会えてよかったなぁと思っています。 土日は家族優先 欲を言えば、土日の練習会とか合宿や応援にもっと参加していきたいです(苦笑)。でも、土日は家庭優先でなかなか家庭内稟議が通りません。先日の東京マラソンも気持ちよく走れたので(PBも更新)、打ち上げに行きたかったのですが、参加できず残念でした。小さい子どもを持つ家庭のランナーは、同じような環境にあると思いますが、子どもがもう少し大きくなったら土日も多少は融通が利くようになるのかなと思っています。 ナチュール会開催 今年の1月に練習会ではなく、ワイン会を催したのですが、すごく楽しかったです。懇親会の席で聖也さんと「ナチュラルワインが好きなんです」という話で盛り上がったのがきっかけで、ようやく開催できました。僕は、お酒が好きで、ほぼ毎日のペースで飲んでいます。特にワインが好きで、ずっとワインだけ飲んでいられるぐらい好きですね(笑)。RETOは、けっこう飲める人が多いですし、あと3店舗ほど、貸し切りで飲めそうなところがあるので、また機会を見て、「ワインの会」を開催できたらと考えています。ワイン以外のお酒も出してもらえるようにお店にお願いして参加者の間口拡大も計画中(笑)。もちろん、マラソンも今季は自己ベスト(東京マラソン:3時間06分01秒)を淡々と刻めたので、次のシーズンではサブ3を狙ってトレーニングします。

刺激になり、心強い同世代の仲間
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール Bチーム(目標:サブ3.5)MVP 野崎七菜子さん 7年ぶりのPB更新 つくばマラソンでの3時間34分16秒は、7年ぶりのPB更新でした。 前のPBは、まぐれで1本出たみたいな感じで、それからも走るのを続けていたのですが、タイムが伸びず、そのうちコロナでステイホームになり、走るのが嫌になったんです。その後、気持ちを切り替えてRETO に入ったのですが、まずはサブ4を目標にスタートしました。昨年の3月の板橋シティマラソンで3時間40分(3時間39分02秒)を切り、今回、35分を切れたので、ようやく先(サブ3.5)が見えてきたので、うれしかったですね。 家族と仲間のサポート つくばの時は、直前まで足の調子が悪く、トンさん(夫・野崎稔雄さん)がインフルエンザになったのでやめようかなと思っていました。でも、なんとか熱が下がって、トンさんのご両親がつくば駅に迎えにきてくれて、スタート場所まで送ってくれたんです。レースでは最後、陽平(成相)さんが並走してくれて、それが大きかったなぁと思います(笑)。 トンさんのやさしさ 練習は、月間走行距離でいうと平均250~300キロぐらいでした。基本的にスピード練習が嫌いで長い距離を淡々と走っているのが好きです。家では、たまにトンさんに練習をサポートしてもらっています。トンさんは週末に30キロを走るのですが、最初の15キロを私のMペースで一緒に走ってもらったり、聖也さんのトレーニングメニューのスピード練習や練習会でできなかったメニューをもう1回やる時は、トンさんに引っ張ってもらっています。 休むことへの不安 最近は、追い込んだり、走る距離が増えてきていることもあって、足が痛くなることが増えてきました。これまで怪我で休むことがほとんどなかったので、「1週間休んでください」と病院の先生に言われると不安になってしまうんです。正直、年齢的なものもあって、焦りがあるのかなと思います。これから練習会でなんとか練習をこなしても、たぶんみんなと同じようには伸びていかないと思うんです。維持するのも大変だと思うので、練習しないと、どんどん落ちていくみたいな恐怖感が大きいんです。だから、「ちょっと痛いぐらいなら大丈夫」と思って走るのですが、最近はみんなに「やめな!」と止められています(苦笑)。 同世代の女子たち RETOは、年齢層の幅が広いのがいいなと思っています。たぶん、伸び盛りの若手ばかりの中に一人でいたら、ちょっと居づらくなると思うんです。でも、私と同世代の女子がいるので同じような悩みやいろんなことをストレートに話ができるので、とっても心強いですし、刺激にもなります。特にゆうこりん(長谷部裕子さん)は頑張って、どんどん速くなっていくので、自分もがんばろうという気持ちにさせてくれますし、チェリーさん(桜井徹哉さん)の頑張りを見ていると年齢を言い訳にはできないと思えるので、ふたりにはすごく刺激をもらっていますね。 マラソンはやめられない もともと私は、いろんなことを始めても、すぐにやめるタイプでした。ブルースハープとか手軽にやれそうだと思ったけど、すぐに辞めましたし、色鉛筆で筆画をしようと揃えたけど、すぐに使わなくなりました(苦笑)。テニスはなんとなくつづけていますが、マラソンはちゃんとつづけられています。ここ2年間は、人生で一番走ったし、頑張りましたが、これからも走り続けて、いつかサブ3.5を達成できたらいいなと思います。
刺激になり、心強い同世代の仲間
RRC member interview text:Shun Sato 第7クール Bチーム(目標:サブ3.5)MVP 野崎七菜子さん 7年ぶりのPB更新 つくばマラソンでの3時間34分16秒は、7年ぶりのPB更新でした。 前のPBは、まぐれで1本出たみたいな感じで、それからも走るのを続けていたのですが、タイムが伸びず、そのうちコロナでステイホームになり、走るのが嫌になったんです。その後、気持ちを切り替えてRETO に入ったのですが、まずはサブ4を目標にスタートしました。昨年の3月の板橋シティマラソンで3時間40分(3時間39分02秒)を切り、今回、35分を切れたので、ようやく先(サブ3.5)が見えてきたので、うれしかったですね。 家族と仲間のサポート つくばの時は、直前まで足の調子が悪く、トンさん(夫・野崎稔雄さん)がインフルエンザになったのでやめようかなと思っていました。でも、なんとか熱が下がって、トンさんのご両親がつくば駅に迎えにきてくれて、スタート場所まで送ってくれたんです。レースでは最後、陽平(成相)さんが並走してくれて、それが大きかったなぁと思います(笑)。 トンさんのやさしさ 練習は、月間走行距離でいうと平均250~300キロぐらいでした。基本的にスピード練習が嫌いで長い距離を淡々と走っているのが好きです。家では、たまにトンさんに練習をサポートしてもらっています。トンさんは週末に30キロを走るのですが、最初の15キロを私のMペースで一緒に走ってもらったり、聖也さんのトレーニングメニューのスピード練習や練習会でできなかったメニューをもう1回やる時は、トンさんに引っ張ってもらっています。 休むことへの不安 最近は、追い込んだり、走る距離が増えてきていることもあって、足が痛くなることが増えてきました。これまで怪我で休むことがほとんどなかったので、「1週間休んでください」と病院の先生に言われると不安になってしまうんです。正直、年齢的なものもあって、焦りがあるのかなと思います。これから練習会でなんとか練習をこなしても、たぶんみんなと同じようには伸びていかないと思うんです。維持するのも大変だと思うので、練習しないと、どんどん落ちていくみたいな恐怖感が大きいんです。だから、「ちょっと痛いぐらいなら大丈夫」と思って走るのですが、最近はみんなに「やめな!」と止められています(苦笑)。 同世代の女子たち RETOは、年齢層の幅が広いのがいいなと思っています。たぶん、伸び盛りの若手ばかりの中に一人でいたら、ちょっと居づらくなると思うんです。でも、私と同世代の女子がいるので同じような悩みやいろんなことをストレートに話ができるので、とっても心強いですし、刺激にもなります。特にゆうこりん(長谷部裕子さん)は頑張って、どんどん速くなっていくので、自分もがんばろうという気持ちにさせてくれますし、チェリーさん(桜井徹哉さん)の頑張りを見ていると年齢を言い訳にはできないと思えるので、ふたりにはすごく刺激をもらっていますね。 マラソンはやめられない もともと私は、いろんなことを始めても、すぐにやめるタイプでした。ブルースハープとか手軽にやれそうだと思ったけど、すぐに辞めましたし、色鉛筆で筆画をしようと揃えたけど、すぐに使わなくなりました(苦笑)。テニスはなんとなくつづけていますが、マラソンはちゃんとつづけられています。ここ2年間は、人生で一番走ったし、頑張りましたが、これからも走り続けて、いつかサブ3.5を達成できたらいいなと思います。