RRC member interview
text:Shun Sato
第8クール Cチーム(目標サブ4)MVP 吉岡美帆さん
半年間続いた介護
MVPは、ちょっと狙っていました(笑)。
マラソンは、年1回しか走らないので、東京マラソンでPBを出さないといけないと思っていたんですけど、見事にハマりました(笑)。
私は、昨年の5月から10月まで6カ月間、RETOを離れて11月から復帰しました。その間、犬の介護をしていたのです。私には子どもがいないので、犬が家族同然でした。パピヨン夫婦と3匹の子どもに恵まれたんですが、末っ子は友人のところに行き、私のところに最後までいてくれたのが次男坊だったんです。介護が必要になり、1日3時間程度しか寝られず、それが半年間つづきました。それまでRETOで走っていたおかげで体力がついていたので、なんとか支えることができたので走っていて良かったなと思いましたね。
再び走り始めた理由
最後、公園に散歩に行って、そこで看取ったのですが、良い見送りができたことで自分なりに納得することができました。RETOに戻ったのは、「このまま泣いて暮らしていてもしょうがないよ。自分のやりたいことをやりなよ」って、あの子が背中を押してくれたからで、私自身も前を向いて生きたいと思ったからです。
苦しんだ東京までの道程
第7クールから復帰したのは、東京マラソンに間に合うかもしれないと思ったのもあります。でも、実際に戻ると前にいたチームの人は上のチームに昇格し、新しい人も増えてちょっとアウェイ感がありました(笑)。走りは、それまで半年間、ほとんど走っていなくて月で10キロから20キロ、6カ月のトータルで100キロぐらいでした。当然、練習会のメニューにはついていけなくて、このままだとダメになる。とにかく練習会に参加し、走る習慣を取り戻そうとタムケン練を始め、自主練に参加するようにしました。
自分を信じてスタートへ
1月の富津合宿は、自分の現状を確認しようと参加したのですが、1キロのインターバルがダメで、翌日のロング走もほとんど走れずにリタイヤしてめちゃくちゃへこみました。2月に小田鎌をいつもより速いペースで走り切って、少し自信が取り戻せたのですが、足に骨棘が出来て、すごく痛かったんです。それでななちゃん(野崎菜七子さん)に相談したら「対外衝撃波がいいんじゃない」って言われて、「どうかな」と思ってやってみたら、うれしいことに2回で痛みが取れたんです。それから痛みが出なかったので、あとは自分を信じてスタートしようと東京マラソンに臨みました。
子どもたちにありがとう
レースは、うちの子たちの遺骨を入れて作った指輪をつけ、次男坊が車イスの時の履いていた靴下をポケットに入れて走りました。RETOの仲間や家族の応援とかがあって元気をたくさんもらいましたし、うちの子たちが一緒に走ってくれた感じがして、最後までがんばることができました。昨年の名古屋ウィメンズではゴールした後、号泣したんですけど、今回は胸がいっぱいでしたが涙はなく、晴れ晴れとした気持ちになり、本当に走ってよかったと思いました。
Cで先頭を走る覚悟
今シーズンは、3時間45分を切ることが大きな目標ですが、まずはCチームで先頭で走れるようになりたいと思っています。練習は、最初はペースの設定通りに走り、ラスト1周はフリーとかになるじゃないですか。その時、前で走っていると抜かれる時に邪魔だなとか考えてしまうんです。今は、そのフリーでみんなに勝てる気がしないので、走れるようになったら先頭で走り、そのままフリーでも先頭で練習を終えられるようになりたいですね。それは、若い人に負けないとかではなく、私は50歳半ばですが、その年齢になってもやろうとも思えばできるし、目標を持てばいくつになってもがんばれるんだよというのを伝えていきたいからです。そうして、ランニングを楽しくつづけていけたらといいなと思っています。