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ランニングをライフスタイルのど真ん中に
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 後編 Text:Shun Sato フロンティアへの挑戦 牧野英明さんは現在、会社でBtoBを専門とするクリエイティブ部署に所属している。企業PRビジネス、BtoBビジネスが主たる仕事だ。 「ブランドを使って他社製品を作ったり、プロデュースしたりしています。これはコラボレーションとは違って、商品は自社では販売していないんですけど、他の店でブランド名がついた商品が販売されています。ただ、名前を貸すだけではなく、商品のディレクションとか、プロモーションとか、クライアントと二人三脚で取り組むのが僕らのスタイルなんです。」 例えば、大手スポーツ量販店で販売されているプライベートブランドのプロデュースモデルがある。これは牧野さんのマラソンやランニングでの経験を活かして生まれたプロダクトになっている。こうしたランと仕事が重なるようになったのは、最近だという。 「僕は、もともと販売を10年以上やった後にその経験を活かしウェブ担当となり、商品コメントを書いたりしていたんですが、社内公募があって、自分の強みを活かせることをやりたいと思って今の部署に異動したんです。 そもそも僕は良い子ちゃんではなかったので、すぐに上司に噛み付く不良社員でした(苦笑)。でもサブ3を達成したことで会社でも仕事以外で一目置かれるようになり、社内外で『おもしろい奴がいる』みたいに取り上げられて、業界の人達と仕事ができるようになりました。そうしたら会社でも不得意なことをやらせておくよりも、得意なことをやらせておいた方が会社にとって得だっていうことで自分のポジションを獲得した感じです。今や絶対に仕事として携われないと思っていたバイイングの権限もいただけるようになり、自分が一番びっくりしてます。まさに、窓際社員が窓から外に出て、また窓から戻ってきた感じです(笑)」 ウエア作りにおける自分の強味 今のラン二ングシーンは、ラン二ングのインフルエンサーがウエアを作ったり、チームごとに自分たちでデザインしたウエアで走るようになってきている。また、いろんなメーカーがランニング業界に参入し、新しいウエアが販売されている。そういう競争の中で牧野さんが他との違いを明確にできるところは、自身の経験にあるという。 「スポーツウエアを作っていますが、僕が他と違うところは、何十年とファッション界に従事し、その造詣が深いところかなと思っています。ラン二ングだけど、僕はファッションという専門分野の知識がすごく重要だと思うんです。マルチタスクというか、ランとファッションと並行してものつくりをすることで、独特のカラーが出てくると思っているんです。端的にいうとランニングもファッションのことも両方分かるというポジションでやれているのが僕の強みかなと思っています」 革新的なコラボ 牧野さんはランニングウエアをプロデュースし、メーカーのサポートをし、イベントに参加し、マラソンの大会に出る。 この人は、いったい、何をしている人なのだろうか。 普通は個人の活動を枠にはめたがるが、牧野さんは「何でも屋」と笑顔でそう語る。 「それこそウチの会社の精神なんです。世の中にあるおもしろいもの、いいものをセレクトしてくるのがセレクトショップです。だから、興味のあるもの、おもしろいものには顔を突っ込んでいくし、その場を楽しんでいます」 フットワークが軽く、いろんなところに顔を出していくのは、仕事の側面もあるが、人と人を結びつけてラン二ングの輪を広げ、その化学変化を見るのが楽しいからでもある。例えば、アシックスとランニングウェアブランドのエルドレッソを繋げたのは、実は牧野さんだったらしい。 「エルドレッソとコラボできればすごいものが生まれますよってアシックスに紹介したら、本当にそうなりました(笑)。もちろん僕はただのキッカケを作っただけではありますが、そういうブランドを知らないと繋げないので、そういうネタをいくつも持つためにもいろんなとこに顔を出すのは大事だなと思っています」 どこの誰でもない自分 ファッションへの造詣が深く、ラン二ング業界にも明るい。本業でモノづくりにも取り組んでいるためプロダクト作りのノウハウもある。それなら自らブランドを起こすことが容易だと思うのだが、牧野さんは「それはない」という。 「僕は、アイデアは持っていると思うんですけど、何か新しいブランドを作って自分でやるとかはないですね。とにかくビジネスセンスがダメダメなので。だからフリーになることも正直、会社をクビにでもならない限りはないと思います(笑)。出世はまったくしていないですけど、いま上司とは相性が良くて評価してもらっていますし、自由に自分のやりたいことをやらせてもらっている環境にいます。これからも機会があればなんでもやっていきたいですね」 牧野さんのやりたいことをやる、いいものを追求するというマインドは、ラン二ングにも顕著に見て取れる。RETO...
ランニングをライフスタイルのど真ん中に
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 後編 Text:Shun Sato フロンティアへの挑戦 牧野英明さんは現在、会社でBtoBを専門とするクリエイティブ部署に所属している。企業PRビジネス、BtoBビジネスが主たる仕事だ。 「ブランドを使って他社製品を作ったり、プロデュースしたりしています。これはコラボレーションとは違って、商品は自社では販売していないんですけど、他の店でブランド名がついた商品が販売されています。ただ、名前を貸すだけではなく、商品のディレクションとか、プロモーションとか、クライアントと二人三脚で取り組むのが僕らのスタイルなんです。」 例えば、大手スポーツ量販店で販売されているプライベートブランドのプロデュースモデルがある。これは牧野さんのマラソンやランニングでの経験を活かして生まれたプロダクトになっている。こうしたランと仕事が重なるようになったのは、最近だという。 「僕は、もともと販売を10年以上やった後にその経験を活かしウェブ担当となり、商品コメントを書いたりしていたんですが、社内公募があって、自分の強みを活かせることをやりたいと思って今の部署に異動したんです。 そもそも僕は良い子ちゃんではなかったので、すぐに上司に噛み付く不良社員でした(苦笑)。でもサブ3を達成したことで会社でも仕事以外で一目置かれるようになり、社内外で『おもしろい奴がいる』みたいに取り上げられて、業界の人達と仕事ができるようになりました。そうしたら会社でも不得意なことをやらせておくよりも、得意なことをやらせておいた方が会社にとって得だっていうことで自分のポジションを獲得した感じです。今や絶対に仕事として携われないと思っていたバイイングの権限もいただけるようになり、自分が一番びっくりしてます。まさに、窓際社員が窓から外に出て、また窓から戻ってきた感じです(笑)」 ウエア作りにおける自分の強味 今のラン二ングシーンは、ラン二ングのインフルエンサーがウエアを作ったり、チームごとに自分たちでデザインしたウエアで走るようになってきている。また、いろんなメーカーがランニング業界に参入し、新しいウエアが販売されている。そういう競争の中で牧野さんが他との違いを明確にできるところは、自身の経験にあるという。 「スポーツウエアを作っていますが、僕が他と違うところは、何十年とファッション界に従事し、その造詣が深いところかなと思っています。ラン二ングだけど、僕はファッションという専門分野の知識がすごく重要だと思うんです。マルチタスクというか、ランとファッションと並行してものつくりをすることで、独特のカラーが出てくると思っているんです。端的にいうとランニングもファッションのことも両方分かるというポジションでやれているのが僕の強みかなと思っています」 革新的なコラボ 牧野さんはランニングウエアをプロデュースし、メーカーのサポートをし、イベントに参加し、マラソンの大会に出る。 この人は、いったい、何をしている人なのだろうか。 普通は個人の活動を枠にはめたがるが、牧野さんは「何でも屋」と笑顔でそう語る。 「それこそウチの会社の精神なんです。世の中にあるおもしろいもの、いいものをセレクトしてくるのがセレクトショップです。だから、興味のあるもの、おもしろいものには顔を突っ込んでいくし、その場を楽しんでいます」 フットワークが軽く、いろんなところに顔を出していくのは、仕事の側面もあるが、人と人を結びつけてラン二ングの輪を広げ、その化学変化を見るのが楽しいからでもある。例えば、アシックスとランニングウェアブランドのエルドレッソを繋げたのは、実は牧野さんだったらしい。 「エルドレッソとコラボできればすごいものが生まれますよってアシックスに紹介したら、本当にそうなりました(笑)。もちろん僕はただのキッカケを作っただけではありますが、そういうブランドを知らないと繋げないので、そういうネタをいくつも持つためにもいろんなとこに顔を出すのは大事だなと思っています」 どこの誰でもない自分 ファッションへの造詣が深く、ラン二ング業界にも明るい。本業でモノづくりにも取り組んでいるためプロダクト作りのノウハウもある。それなら自らブランドを起こすことが容易だと思うのだが、牧野さんは「それはない」という。 「僕は、アイデアは持っていると思うんですけど、何か新しいブランドを作って自分でやるとかはないですね。とにかくビジネスセンスがダメダメなので。だからフリーになることも正直、会社をクビにでもならない限りはないと思います(笑)。出世はまったくしていないですけど、いま上司とは相性が良くて評価してもらっていますし、自由に自分のやりたいことをやらせてもらっている環境にいます。これからも機会があればなんでもやっていきたいですね」 牧野さんのやりたいことをやる、いいものを追求するというマインドは、ラン二ングにも顕著に見て取れる。RETO...
サブ3が僕の人生を変えてくれた
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 前編 Text:Shun Sato セレクトショップの社員というより、ランナーがたまたまセレクトショップの社員だったという方が正しいかもしれない。マラソンを2時間47分で走り、いろんなレース、様々なイベントにゲストとして参加し、ラン二ングウエアの商品作りやプロモーションに携わる。 「ラン二ングに関わるすべてが楽しい」 そう語る牧野英明さんは、なぜ走り続けているのだろうか――。 セカンドチャンス到来 牧野さんがファッションに興味を持ち始めたのは、中学の頃だった。 「当時、バスケをやっていたんですけど、バッシュでエアジョーダンが人気があって、古着も流行っていたんです。親からすると中古の服に金を払うのってなんなんだって感じだと思うんですけど、シンプルに格好良かった。当時はギャル男かストリート系で人気が二分されていたんですけど、僕はストリート系が好きで『Boon』や『SMART』とかを見ていました。その頃、洋服に興味を持つようになったのが、自分にとって最初のタ-二ングポイントになりました」 大学に進学してからは、ファッションを追求する情熱がさらに高まった。卒業後もその道を目指そうと考えた。 「時代的に洋服の販売とか、あまり認められていないというか、それで生計を立てていくのが一般的じゃなかったんです。デザイナーへの憧れもなくて、それでも洋服関係の会社に就職したいと思っていろいろ受けました。全部ダメだったんですけど、そのなかで唯一、最終面接までいったのが大手セレクトショップのB社だったんです」 もしかしたら自分の好きなことを仕事にできるかもしれない。そう思っていたが、採用は不合格だった。 「縁がなかったんだなぁって思いましたね。でも、いろんなめぐり合わせがあって、アルバイトで採用してもらったんです。そこからさらに洋服好きが止まらなくなり、アルバイト代をすべて洋服につぎ込んで、借金まみれのような生活をしていました(苦笑)」 牧野さんにセカンドチャンスが訪れたのは、アルバイトとして働き始めた1年半後だった。中途採用に応募し、合格した。 「僕にとって1年半はすごく長く感じたんですけど、周囲には10年やっても社員になれない人もいた。そういう意味では社員になれたのは、すごくラッキーでした」 ダサくて格好悪いスポーツ 自分が好きなことを生業にできたわけだが、それから自分の趣味である洋服屋巡りをして、洋服を収集するなど、ファッション一筋の人生を突っ走った。 だが、自分の趣味を仕事にしてしまうと没頭し、それ以外、広がりを持てなくなってしまう。高校時代は陸上部でもともとスポーツが好きな牧野さんは、ある時、第2回東京マラソン(2008年)に申し込んだ。 「高校時代、陸上部だったんですけど、こんなにダサくて格好の悪いスポーツはやってられないと思ってやめちゃったんです。でも、たまにランニングするとスッキリするなーというのは思っていたんですよ。体型維持を兼ねて走っていたんですけど、ノリでとりあえずマラソンのエントリー登録をしたんです。そうしたら当選したんですけど、まさかお金を払うとは思っていなくて(苦笑)。1万円も払うんかいって思ったんですけど、払えばもったいないから走るかなと思ってエントリーしました」 今から16年前の2008年、日本のラン二ングシーンは、2007年に開催された東京マラソンをキッカケに徐々にその熱が高まりつつあった。だが、今のような爆発的なランニングブームまでには至らず、どちらかというとまだ夜明け前という感じだった。 「当時は、ラン二ングがまだクールなものじゃなくて、走っている人も白いタンクトップに短いパンツみたいな感じだったんですよ(笑)。うちの会社からマラソンに出る人なんていなかったですし、洋服屋周りの人も誰も走っていなかった。僕はファッションの世界で仕事をしているけど、『あえてそういうダサい感じのことをやっているんだぜ』みたいな、ちょっと斜に構えた感じでラン二ングをやっていたんです」 タイムが名刺 2000年代のラン二ングは、あか抜けないスポーツで、牧野さんにとってはラン二ングもある意味、他者との違いをアピールするファッションのひとつみたいな位置付だったのかもしれない。もうひとつ本気になり切れない意識を変えてくれたのが、ラン二ングクラブとの出会いだった。...
サブ3が僕の人生を変えてくれた
Why I Run:Stories from Runners vol.1 牧野英明さん 前編 Text:Shun Sato セレクトショップの社員というより、ランナーがたまたまセレクトショップの社員だったという方が正しいかもしれない。マラソンを2時間47分で走り、いろんなレース、様々なイベントにゲストとして参加し、ラン二ングウエアの商品作りやプロモーションに携わる。 「ラン二ングに関わるすべてが楽しい」 そう語る牧野英明さんは、なぜ走り続けているのだろうか――。 セカンドチャンス到来 牧野さんがファッションに興味を持ち始めたのは、中学の頃だった。 「当時、バスケをやっていたんですけど、バッシュでエアジョーダンが人気があって、古着も流行っていたんです。親からすると中古の服に金を払うのってなんなんだって感じだと思うんですけど、シンプルに格好良かった。当時はギャル男かストリート系で人気が二分されていたんですけど、僕はストリート系が好きで『Boon』や『SMART』とかを見ていました。その頃、洋服に興味を持つようになったのが、自分にとって最初のタ-二ングポイントになりました」 大学に進学してからは、ファッションを追求する情熱がさらに高まった。卒業後もその道を目指そうと考えた。 「時代的に洋服の販売とか、あまり認められていないというか、それで生計を立てていくのが一般的じゃなかったんです。デザイナーへの憧れもなくて、それでも洋服関係の会社に就職したいと思っていろいろ受けました。全部ダメだったんですけど、そのなかで唯一、最終面接までいったのが大手セレクトショップのB社だったんです」 もしかしたら自分の好きなことを仕事にできるかもしれない。そう思っていたが、採用は不合格だった。 「縁がなかったんだなぁって思いましたね。でも、いろんなめぐり合わせがあって、アルバイトで採用してもらったんです。そこからさらに洋服好きが止まらなくなり、アルバイト代をすべて洋服につぎ込んで、借金まみれのような生活をしていました(苦笑)」 牧野さんにセカンドチャンスが訪れたのは、アルバイトとして働き始めた1年半後だった。中途採用に応募し、合格した。 「僕にとって1年半はすごく長く感じたんですけど、周囲には10年やっても社員になれない人もいた。そういう意味では社員になれたのは、すごくラッキーでした」 ダサくて格好悪いスポーツ 自分が好きなことを生業にできたわけだが、それから自分の趣味である洋服屋巡りをして、洋服を収集するなど、ファッション一筋の人生を突っ走った。 だが、自分の趣味を仕事にしてしまうと没頭し、それ以外、広がりを持てなくなってしまう。高校時代は陸上部でもともとスポーツが好きな牧野さんは、ある時、第2回東京マラソン(2008年)に申し込んだ。 「高校時代、陸上部だったんですけど、こんなにダサくて格好の悪いスポーツはやってられないと思ってやめちゃったんです。でも、たまにランニングするとスッキリするなーというのは思っていたんですよ。体型維持を兼ねて走っていたんですけど、ノリでとりあえずマラソンのエントリー登録をしたんです。そうしたら当選したんですけど、まさかお金を払うとは思っていなくて(苦笑)。1万円も払うんかいって思ったんですけど、払えばもったいないから走るかなと思ってエントリーしました」 今から16年前の2008年、日本のラン二ングシーンは、2007年に開催された東京マラソンをキッカケに徐々にその熱が高まりつつあった。だが、今のような爆発的なランニングブームまでには至らず、どちらかというとまだ夜明け前という感じだった。 「当時は、ラン二ングがまだクールなものじゃなくて、走っている人も白いタンクトップに短いパンツみたいな感じだったんですよ(笑)。うちの会社からマラソンに出る人なんていなかったですし、洋服屋周りの人も誰も走っていなかった。僕はファッションの世界で仕事をしているけど、『あえてそういうダサい感じのことをやっているんだぜ』みたいな、ちょっと斜に構えた感じでラン二ングをやっていたんです」 タイムが名刺 2000年代のラン二ングは、あか抜けないスポーツで、牧野さんにとってはラン二ングもある意味、他者との違いをアピールするファッションのひとつみたいな位置付だったのかもしれない。もうひとつ本気になり切れない意識を変えてくれたのが、ラン二ングクラブとの出会いだった。...
「血液検査で自分を知る」 ~パーフォーマンス低下の原因、欝発症、そして復帰へ~
Text: Shun Sato RUNNERS MEDICAL REPORT マラソン、陸上長距離などの持久系種目では、ケガだけでなく、貧血などの内科的疾患のリスクも高く、実業団に所属するエリート選手や高校、大学で本格的に競技に取り組んでいる選手は、定期的に血液検査を行っていることが多い。だるさ、息切れ、記録が伸びないなどの自覚症状が出て、ヘモグロビンなどの採血項目で数値に異常が出た場合、それを改善することで体調やスポーツパフォーマンスの回復に結びつけることができるからだ。 市民ランナーも体調が思わしくなくなったり、思うように走れないと悩んだ時、血液検査を受けることで見えない何かを明確にしてくれるので、実際に受けている人が多い。RETO RUNNING CLUBのAさんも血液検査によって、パフォーマンス低下の原因が分かった。 感じたパフォーマンスの低下 Aさんが体に異変を感じたのは、2023年6月だった。 練習中にいきなり足が攣ったり、今までこなせていた練習に体がついていかなくなった。その後、ハーフマラソンのレースに出場したが、体が動かなくなり、14キロで途中棄権した。 「DNFした時は、暑いのに体が慣れていないから動かないのかなぁと思ったんです。でも、7月に入って暑くなるとさらに体が重く、まったくペースを上げられなくなって、もうめちゃくちゃ頑張らないと長く、速く走れないんです。4分10秒のペースはそれまでキツくなかったんですけど、それが苦しくてパフォーマンスが上がらない。『貧血じゃない?1回(血液検査に)行ってみたら』とメンバーにいわれて、8月に初めて血液検査を受けたんです」 田畑尚吾先生の田畑クリニックで血液検査を受けた結果、ヘモグロビンの数値に異常はなく、貧血ではないことが判明した。フェリチンも血清鉄も基準値で問題なかった。田畑先生が指摘したのは、男性の市民ランナーにわりと低い数値が見られるという、ある項目だった。 「Aさんの血液検査で基準値により低い数値が出たのは、テストステロンでした」(田畑先生) 聞きなれない言葉だが、テストステロンとは、男性生殖組織の発達に重要な役割を果たすと共に、筋肉や骨量の増加、体毛の成長などの二次性徴を促進する男性ホルモンで、造血ホルモンでもあるため、低下すると貧血の要因にも成り得る。 テストステロン低下の症状 テストステロンはなぜ低下し、その際、どんな症状が生じるのか。 「成人男性では、女性の妊娠・出産や、閉経前後のように、性ホルモンが急激に変化するステージはないものの、20代以降、テストステロンが徐々に低下します。低下の時期やスピードには個人差があり、早ければ30代でもテストステロン低下による更年期症状(男性機能の低下、抑うつ、睡眠障害、易疲労感など)をきたすケースもあります。また、近年では、加齢のみならず、持久系スポーツをしすぎることにより、運動性のテストステロン低下が生じることも明らかになっています。Aさんは30代で、比較的若年ではありましたが、マラソンをされているということでしたので、まずはオーバーワークによる運動性ストレスが考えられました。さらに仕事による精神的なストレスも加わり、テストステロンの数値が下がってしまった可能性があります。その結果、テストステロン低下症になり、運動のパフォーマンスが落ちたりします。また、テストステロンが低い状態が続くと、造血が障害されるリスクがあるので、貧血リスクとなりますし、男性更年期と同様、体のだるさ、睡眠障害、メタボになりやすくになったりします」(田畑先生) ランニングや日常生活での制限 日本人男性では、遊離テストステロンを測定することが推奨されており、遊離テストステロンの基準値は、11.8pg/ml以上である。遊離テストステロンが8.5pg/ml未満では男性更年期が疑われるレベルだが、Aさんの検査時の数値は8.4pg/mlだった。運動でテストステロンが低下するメカニズムは現時点で明確化されていないが、ストレスにコルチゾールなどのホルモンの乱れ、運動による精巣へのメカニカルストレス、エネルギー不足などが関与していると考えられている。数値を改善していくために田畑先生からは、ランニングや日常生活について、いくつか制限すべきことを伝えられた。 「先生からは、運動ストレスを軽減するため、ランニングの追い込む練習、ポイント練習など強度が高いメニューを控えること。通常、適度なスポーツ活動はテストステロンを上昇させるため、ランニングをやめるのではなく、負荷を落とし、ジョグ程度のランは続けても良いとアドバイスをいただきました。それで様子を見て、改善しない場合、精神的なストレスが影響している可能性が高いのでメンタルケアをしながらホルモン補充療法を開始する方向で考えていきましょうということになりました」 悪化する症状 Aさんは、その後、ポイント練習をやめ、ジョグ主体に切り替えた。メンバーが強度の高い練習をこなして状態を上げ、レースに向かっていく姿を見ていると、走れないもどかしさを感じるようになった。焦る気持ちがよりストレスになったのか。運動時だけではなく、自宅にいてもめまいや冷や汗をかいたり、体のだるさを感じるようになった。 「徐々にいろんなことが悪化していくような気がしました」 9月の練習会に参加した時、ジョグすらできず、体が動かせなくなった。運動性ではなく、精神的なストレスの影響が大きいと感じ、心療内科のドアを叩いた。その際、以前の血液検査の結果を見せると、「テストステロンの数値が低下しているので、その治療をスタートした方がいい」と言われた。仕事も「お休みした方がいい」と言われ、診断書をもらい、会社に提出した。 再度、現状を確認しようと最初の検査から1か月後、血液検査を受けた。遊離テストステロンの数値は、前回の8.4pg/mlから7.8pg/mlに落ちていた。 「数値が落ちてきているので、ホルモン補充療法を開始しましょう」 田畑先生から、そう言われた。...
「血液検査で自分を知る」 ~パーフォーマンス低下の原因、欝発症、そして復帰へ~
Text: Shun Sato RUNNERS MEDICAL REPORT マラソン、陸上長距離などの持久系種目では、ケガだけでなく、貧血などの内科的疾患のリスクも高く、実業団に所属するエリート選手や高校、大学で本格的に競技に取り組んでいる選手は、定期的に血液検査を行っていることが多い。だるさ、息切れ、記録が伸びないなどの自覚症状が出て、ヘモグロビンなどの採血項目で数値に異常が出た場合、それを改善することで体調やスポーツパフォーマンスの回復に結びつけることができるからだ。 市民ランナーも体調が思わしくなくなったり、思うように走れないと悩んだ時、血液検査を受けることで見えない何かを明確にしてくれるので、実際に受けている人が多い。RETO RUNNING CLUBのAさんも血液検査によって、パフォーマンス低下の原因が分かった。 感じたパフォーマンスの低下 Aさんが体に異変を感じたのは、2023年6月だった。 練習中にいきなり足が攣ったり、今までこなせていた練習に体がついていかなくなった。その後、ハーフマラソンのレースに出場したが、体が動かなくなり、14キロで途中棄権した。 「DNFした時は、暑いのに体が慣れていないから動かないのかなぁと思ったんです。でも、7月に入って暑くなるとさらに体が重く、まったくペースを上げられなくなって、もうめちゃくちゃ頑張らないと長く、速く走れないんです。4分10秒のペースはそれまでキツくなかったんですけど、それが苦しくてパフォーマンスが上がらない。『貧血じゃない?1回(血液検査に)行ってみたら』とメンバーにいわれて、8月に初めて血液検査を受けたんです」 田畑尚吾先生の田畑クリニックで血液検査を受けた結果、ヘモグロビンの数値に異常はなく、貧血ではないことが判明した。フェリチンも血清鉄も基準値で問題なかった。田畑先生が指摘したのは、男性の市民ランナーにわりと低い数値が見られるという、ある項目だった。 「Aさんの血液検査で基準値により低い数値が出たのは、テストステロンでした」(田畑先生) 聞きなれない言葉だが、テストステロンとは、男性生殖組織の発達に重要な役割を果たすと共に、筋肉や骨量の増加、体毛の成長などの二次性徴を促進する男性ホルモンで、造血ホルモンでもあるため、低下すると貧血の要因にも成り得る。 テストステロン低下の症状 テストステロンはなぜ低下し、その際、どんな症状が生じるのか。 「成人男性では、女性の妊娠・出産や、閉経前後のように、性ホルモンが急激に変化するステージはないものの、20代以降、テストステロンが徐々に低下します。低下の時期やスピードには個人差があり、早ければ30代でもテストステロン低下による更年期症状(男性機能の低下、抑うつ、睡眠障害、易疲労感など)をきたすケースもあります。また、近年では、加齢のみならず、持久系スポーツをしすぎることにより、運動性のテストステロン低下が生じることも明らかになっています。Aさんは30代で、比較的若年ではありましたが、マラソンをされているということでしたので、まずはオーバーワークによる運動性ストレスが考えられました。さらに仕事による精神的なストレスも加わり、テストステロンの数値が下がってしまった可能性があります。その結果、テストステロン低下症になり、運動のパフォーマンスが落ちたりします。また、テストステロンが低い状態が続くと、造血が障害されるリスクがあるので、貧血リスクとなりますし、男性更年期と同様、体のだるさ、睡眠障害、メタボになりやすくになったりします」(田畑先生) ランニングや日常生活での制限 日本人男性では、遊離テストステロンを測定することが推奨されており、遊離テストステロンの基準値は、11.8pg/ml以上である。遊離テストステロンが8.5pg/ml未満では男性更年期が疑われるレベルだが、Aさんの検査時の数値は8.4pg/mlだった。運動でテストステロンが低下するメカニズムは現時点で明確化されていないが、ストレスにコルチゾールなどのホルモンの乱れ、運動による精巣へのメカニカルストレス、エネルギー不足などが関与していると考えられている。数値を改善していくために田畑先生からは、ランニングや日常生活について、いくつか制限すべきことを伝えられた。 「先生からは、運動ストレスを軽減するため、ランニングの追い込む練習、ポイント練習など強度が高いメニューを控えること。通常、適度なスポーツ活動はテストステロンを上昇させるため、ランニングをやめるのではなく、負荷を落とし、ジョグ程度のランは続けても良いとアドバイスをいただきました。それで様子を見て、改善しない場合、精神的なストレスが影響している可能性が高いのでメンタルケアをしながらホルモン補充療法を開始する方向で考えていきましょうということになりました」 悪化する症状 Aさんは、その後、ポイント練習をやめ、ジョグ主体に切り替えた。メンバーが強度の高い練習をこなして状態を上げ、レースに向かっていく姿を見ていると、走れないもどかしさを感じるようになった。焦る気持ちがよりストレスになったのか。運動時だけではなく、自宅にいてもめまいや冷や汗をかいたり、体のだるさを感じるようになった。 「徐々にいろんなことが悪化していくような気がしました」 9月の練習会に参加した時、ジョグすらできず、体が動かせなくなった。運動性ではなく、精神的なストレスの影響が大きいと感じ、心療内科のドアを叩いた。その際、以前の血液検査の結果を見せると、「テストステロンの数値が低下しているので、その治療をスタートした方がいい」と言われた。仕事も「お休みした方がいい」と言われ、診断書をもらい、会社に提出した。 再度、現状を確認しようと最初の検査から1か月後、血液検査を受けた。遊離テストステロンの数値は、前回の8.4pg/mlから7.8pg/mlに落ちていた。 「数値が落ちてきているので、ホルモン補充療法を開始しましょう」 田畑先生から、そう言われた。...
「何回もRETOをやめようと思いました」~サブ4達成、怪我からの復活430日間の戦い~
RUNNERS REAL STORY Vol.1 田中智子さん Text: shun sato モートン病発症 田中智子さんが足の指の付け根に異変を感じたのは、2022年7月だった。 最初は、違和感だけで、そのうち治るかなと楽観視していたが、9月のRETO合宿に参加すると痛みで走れず、別メニューで過ごした。 その後、普通に歩いているだけでズキズキという痛みが出て、走るどころではなくなった。10月、神野大地に相談すると、「僕が過去に経験したのと同じ症状ですね」と語り、鳥居俊先生(整形外科医)を紹介してもらった。そこで診察を受け、告げられた病名は聞いたことがないものだった。 「モートン病です」 モートン病とは、足の裏や足趾(そくし)の付け根に痛みを生じる病気だ。足趾の付け根から指先にかけて向かう神経が、足趾の付け根の部位で慢性的に圧迫されることで発症する。モートン病の発症の要因は、ヒールなど先の細い靴を履き続けたり、外反母趾など骨の形状異常が見られる人に多いが、智子さんはまさに外反母趾で苦しんでいた。 担当医からの厳しい宣告 しかも、この時、鳥居先生からは厳しい宣告を受けた 「基本的には治らないです。病気と共存していくことで走れるようになれるので、まずは注射を打ちながら様子を見ていきましょう」 注射は、痛みに応じて液剤の量を調整し、2週間ごとに打ち、治療を進めていった。しかし、1ヶ月過ぎても好転せず、2ヶ月、3ヶ月と過ぎても一向によくならなかった。足の痛みが80%ぐらいあるとすると、注射を打ち2、3日は50%ぐらいに痛みが低下する。でも、1週間ほど経過し、歩いていると、また80%に戻ってしまう 「歩くと痛みが出るので、まだまだなぁって思うと溜息が出ました。このくらいで治りますというのが見えないですし、RETOに戻れるかどうかも分からない。本当に走れる日が来るのかな。もう走れないんじゃないかなと思うと、このままRETOに入っている意味あるのかなぁとか、いろんなことを考えてしまいました」 RETOをやめるか否か 2023年に入り、マラソンシーズンになるとRETOのメンバーが自己ベストを次々と更新していった。Facebookに、マラソンで結果を出した投稿を見ていると、眩しく、羨ましく思い、なぜ自分は走れないのだろうと足を呪った。 「こんなにつらいならいっそRETOをやめようかな」 何度も、そう思った。 智子さんにとって走ることは大好きなことであり、人生にとって欠かせないものだった。その走ることができなければ、走ること以外の興味のあることや取り組みたいことに時間を費やしていこうかなとも考えた。 「でも、RETOにいる以上、走ることが仕事の次いで私の優先すべきことなので、それを取っ払ったら楽になるのかなと思いましたが、それはできかったです」 仲間と神野の支え それは、走ることが好きで、復帰への強い思いがあったからだが、同時に治療している中、寄り添ってくれた仲間の存在が大きかったからだ。状態が好転しないなか、RETOのメンバーである星綾子さん、野崎七菜子さん、長谷部裕子さんと都内で会って、話をする時間は単純に楽しくもあり、自分がチームの一員であることを思い起こさせてくれる時間でもあった。 「私は、治療している間、練習会に出ていないので、誰とも会っていなかったんです。そんな時、4人で一緒に会う機会を作ってくれて。その時、『待っているよ』とか、『頑張って』とかではなく、私の心が晴れない日々の話をただ聞いてくれて‥‥それはすごくありがたかったです」 神野の声も智子さんの支えになった。 「先生を紹介してくださった後も神野さんは何回か連絡をくださって、治療の結果とか相談させていただきました。『治らない病気はないから待っています』と、声をかけていただいたり、ほんと支えていただきました」...
「何回もRETOをやめようと思いました」~サブ4達成、怪我からの復活430日間の戦い~
RUNNERS REAL STORY Vol.1 田中智子さん Text: shun sato モートン病発症 田中智子さんが足の指の付け根に異変を感じたのは、2022年7月だった。 最初は、違和感だけで、そのうち治るかなと楽観視していたが、9月のRETO合宿に参加すると痛みで走れず、別メニューで過ごした。 その後、普通に歩いているだけでズキズキという痛みが出て、走るどころではなくなった。10月、神野大地に相談すると、「僕が過去に経験したのと同じ症状ですね」と語り、鳥居俊先生(整形外科医)を紹介してもらった。そこで診察を受け、告げられた病名は聞いたことがないものだった。 「モートン病です」 モートン病とは、足の裏や足趾(そくし)の付け根に痛みを生じる病気だ。足趾の付け根から指先にかけて向かう神経が、足趾の付け根の部位で慢性的に圧迫されることで発症する。モートン病の発症の要因は、ヒールなど先の細い靴を履き続けたり、外反母趾など骨の形状異常が見られる人に多いが、智子さんはまさに外反母趾で苦しんでいた。 担当医からの厳しい宣告 しかも、この時、鳥居先生からは厳しい宣告を受けた 「基本的には治らないです。病気と共存していくことで走れるようになれるので、まずは注射を打ちながら様子を見ていきましょう」 注射は、痛みに応じて液剤の量を調整し、2週間ごとに打ち、治療を進めていった。しかし、1ヶ月過ぎても好転せず、2ヶ月、3ヶ月と過ぎても一向によくならなかった。足の痛みが80%ぐらいあるとすると、注射を打ち2、3日は50%ぐらいに痛みが低下する。でも、1週間ほど経過し、歩いていると、また80%に戻ってしまう 「歩くと痛みが出るので、まだまだなぁって思うと溜息が出ました。このくらいで治りますというのが見えないですし、RETOに戻れるかどうかも分からない。本当に走れる日が来るのかな。もう走れないんじゃないかなと思うと、このままRETOに入っている意味あるのかなぁとか、いろんなことを考えてしまいました」 RETOをやめるか否か 2023年に入り、マラソンシーズンになるとRETOのメンバーが自己ベストを次々と更新していった。Facebookに、マラソンで結果を出した投稿を見ていると、眩しく、羨ましく思い、なぜ自分は走れないのだろうと足を呪った。 「こんなにつらいならいっそRETOをやめようかな」 何度も、そう思った。 智子さんにとって走ることは大好きなことであり、人生にとって欠かせないものだった。その走ることができなければ、走ること以外の興味のあることや取り組みたいことに時間を費やしていこうかなとも考えた。 「でも、RETOにいる以上、走ることが仕事の次いで私の優先すべきことなので、それを取っ払ったら楽になるのかなと思いましたが、それはできかったです」 仲間と神野の支え それは、走ることが好きで、復帰への強い思いがあったからだが、同時に治療している中、寄り添ってくれた仲間の存在が大きかったからだ。状態が好転しないなか、RETOのメンバーである星綾子さん、野崎七菜子さん、長谷部裕子さんと都内で会って、話をする時間は単純に楽しくもあり、自分がチームの一員であることを思い起こさせてくれる時間でもあった。 「私は、治療している間、練習会に出ていないので、誰とも会っていなかったんです。そんな時、4人で一緒に会う機会を作ってくれて。その時、『待っているよ』とか、『頑張って』とかではなく、私の心が晴れない日々の話をただ聞いてくれて‥‥それはすごくありがたかったです」 神野の声も智子さんの支えになった。 「先生を紹介してくださった後も神野さんは何回か連絡をくださって、治療の結果とか相談させていただきました。『治らない病気はないから待っています』と、声をかけていただいたり、ほんと支えていただきました」...