サブ3が僕の人生を変えてくれた

Why I Run:Stories from Runners

vol.1 牧野英明さん 前編

Text:Shun Sato

セレクトショップの社員というより、ランナーがたまたまセレクトショップの社員だったという方が正しいかもしれない。マラソンを2時間47分で走り、いろんなレース、様々なイベントにゲストとして参加し、ラン二ングウエアの商品作りやプロモーションに携わる。

「ラン二ングに関わるすべてが楽しい」

そう語る牧野英明さんは、なぜ走り続けているのだろうか――。

セカンドチャンス到来

牧野さんがファッションに興味を持ち始めたのは、中学の頃だった。

「当時、バスケをやっていたんですけど、バッシュでエアジョーダンが人気があって、古着も流行っていたんです。親からすると中古の服に金を払うのってなんなんだって感じだと思うんですけど、シンプルに格好良かった。当時はギャル男かストリート系で人気が二分されていたんですけど、僕はストリート系が好きで『Boon』や『SMART』とかを見ていました。その頃、洋服に興味を持つようになったのが、自分にとって最初のタ-二ングポイントになりました」

大学に進学してからは、ファッションを追求する情熱がさらに高まった。卒業後もその道を目指そうと考えた。

「時代的に洋服の販売とか、あまり認められていないというか、それで生計を立てていくのが一般的じゃなかったんです。デザイナーへの憧れもなくて、それでも洋服関係の会社に就職したいと思っていろいろ受けました。全部ダメだったんですけど、そのなかで唯一、最終面接までいったのが大手セレクトショップのB社だったんです」

もしかしたら自分の好きなことを仕事にできるかもしれない。そう思っていたが、採用は不合格だった。

「縁がなかったんだなぁって思いましたね。でも、いろんなめぐり合わせがあって、アルバイトで採用してもらったんです。そこからさらに洋服好きが止まらなくなり、アルバイト代をすべて洋服につぎ込んで、借金まみれのような生活をしていました(苦笑)」

牧野さんにセカンドチャンスが訪れたのは、アルバイトとして働き始めた1年半後だった。中途採用に応募し、合格した。

「僕にとって1年半はすごく長く感じたんですけど、周囲には10年やっても社員になれない人もいた。そういう意味では社員になれたのは、すごくラッキーでした」

ダサくて格好悪いスポーツ

自分が好きなことを生業にできたわけだが、それから自分の趣味である洋服屋巡りをして、洋服を収集するなど、ファッション一筋の人生を突っ走った。

だが、自分の趣味を仕事にしてしまうと没頭し、それ以外、広がりを持てなくなってしまう。高校時代は陸上部でもともとスポーツが好きな牧野さんは、ある時、第2回東京マラソン(2008年)に申し込んだ。

「高校時代、陸上部だったんですけど、こんなにダサくて格好の悪いスポーツはやってられないと思ってやめちゃったんです。でも、たまにランニングするとスッキリするなーというのは思っていたんですよ。体型維持を兼ねて走っていたんですけど、ノリでとりあえずマラソンのエントリー登録をしたんです。そうしたら当選したんですけど、まさかお金を払うとは思っていなくて(苦笑)。1万円も払うんかいって思ったんですけど、払えばもったいないから走るかなと思ってエントリーしました」

今から16年前の2008年、日本のラン二ングシーンは、2007年に開催された東京マラソンをキッカケに徐々にその熱が高まりつつあった。だが、今のような爆発的なランニングブームまでには至らず、どちらかというとまだ夜明け前という感じだった。

「当時は、ラン二ングがまだクールなものじゃなくて、走っている人も白いタンクトップに短いパンツみたいな感じだったんですよ(笑)。うちの会社からマラソンに出る人なんていなかったですし、洋服屋周りの人も誰も走っていなかった。僕はファッションの世界で仕事をしているけど、『あえてそういうダサい感じのことをやっているんだぜ』みたいな、ちょっと斜に構えた感じでラン二ングをやっていたんです」

タイムが名刺

2000年代のラン二ングは、あか抜けないスポーツで、牧野さんにとってはラン二ングもある意味、他者との違いをアピールするファッションのひとつみたいな位置付だったのかもしれない。もうひとつ本気になり切れない意識を変えてくれたのが、ラン二ングクラブとの出会いだった。

「ラン二ングを始めて4,5年はひとりで走って、ひとりで大会に出ていました。ある時、ファッションメディアが中心になっているランニングクラブに誘われて参加したんです。集まった人は職業、年齢もバラバラなんですけど、みんなと一緒に走るのがすごく楽しかった。走り終わって飲みに行った時、『フルマラソンでどのくらいで走っているのか』という話になったんです。僕は、まだ4時間12分の中途半端なタイムしかなくて‥‥。その時、自分の名刺になるようなタイムが欲しいなって思ったんです。それから真剣にマラソンの練習に取り組むようになりました」

ヘビ―スモーカーでマラソンが終わった後の一服がうまいと思い、そのために走っている感じだったが、本気で走るためにタバコをやめた。練習メニューを考え、新たなにランニングクラブのポイント練習に参加した。

「強度の高い練習をみんなでやることに、やりがいというか、部活よりも大きな達成感を感じるようになりました。高校の時って、走るのに技術はいらないと思っていましたし、ただ、言われたことをこなしているだけ。調子の良し悪しもわからなくて、体力勝負でやっていたんで全然おもしろくなかった。でも、ラン二ングクラブですごく有意義な時間を過ごせるようになり、走ることが楽しくなったんです」

それから本腰を入れてマラソンの練習に取り組むようになった。動画や見聞きしたことを活かしてフォームを改善するなど、ラン二ングスキルを上げていった。

脱スーツ+革靴

2016年の東京マラソンで3時間8分、2017年大会は3時間2分、2018年大会で2時間52分をマークし、サブ3を達成した。

「サブ3を達成してから自分の人生においてランニングが占めるウエイトがどんどん大きくなっていきました」

それは牧野さんのファッションの意識も変えていった。

たまにファッションとしてスーツを着て出社することもあったが、そういう時に限って飲み過ぎて、寝過ごしてしまい、駅から歩いて帰ることがあった。スーツ姿で9キロを歩いて帰るのはかなりキツく、いつでも走れる格好をしておいた方がいいと思うようになった。

「スーツや革靴を控えて、動きやすい服装でバッグはウエストベルト付きにしたり、シューズをラン二ングシューズにしたりとか、ラン二ングを中心にしたファッションになったんです。今までの自分の人生は、常にファッションが真ん中にあったんですけど、ラン二ングを真ん中に置き換えた時、ファッションがランニングの周囲に付随する一つのパーツになったんです。それが僕の人生において大きなターニングポイントになりました」

洋服が好き。ファッションが人生だ。そういう集団のB社にあって、牧野さんのランニング中心のスタイルは、会社内で異彩を放つようになった。

「会社の人と違う立ち位置を作れたのは、サブ3を達成し、『B社に速いランナーがいる』ということでメディアに取り上げられるようになったのが大きいですね。それから『いつでも10キロを走れるコーディネート』を自己発信でSNSで出したらいろんな人が面白がってくれたんです。自分が変ろうとしたのではなく、周囲の環境が変わり、僕への見方を変えていってくれた感じでした」

サブ3で人生が変わる

そのキッカケを作ったのは、サブ3という“勲章”だった。ランナーとして一目置かれるタイムが牧野さんを見る目を変えていった。

「サブ3が僕の人生を変えてくれた。だから、サブ3のペーサーをしている時は、みんなに言うんです。『サブ3して人生、変えるぞ。絶対にやるぞ』って(笑)」

自己の経験則を伝える声にランナーが反応し、目標を達成したランナーが笑顔を見せる。それぞれの人生に何かしら影響を与えること。それが今、牧野さんが走る上で大きなモチベーションのひとつになっている。

 

後編「ランニングをライフスタイルのど真ん中に」

 

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