Why I Run:Stories from Runners
vol.3阿久澤隆さん 後篇
Text:Shun Sato
ELDORESOの誕生前夜、前述のアウトドアショップのオーナーが新たにランニングショップをオープンする記念にと、別注品を依頼され、最初に作ったのが綿麻のキャップだった。
ただ、阿久澤隆さんは、スポーツの商品を作るのには、抵抗があった。
「スポーツものって、素材とか性能も含めて素人が手を出しちゃダメでしょと思っていたんです。そうしたら『なんでもいいよ』と言われたので、スポーツにまったく適さない綿麻の生地でキャップを作ったんです。洗うと色落ちしていくんですけど、それがびっくりするくらい反響があって、メルカリに出るとすぐに何倍もの価格で売れている状態になったんです。それまで商品を作って来て、著名人が身に着けたわけでもないのに、こんなことになるのは1度もなかった。『あれ、これいいんじゃない?』と思い、そこから品数を増やしていきました」
ELDORESOのスタート
再び走り出してから3年の歳月をかけ2016年、ELDORESOの商品販売をスタートした。
それまでデザイン的にシンプルで、カラーバリエーションが少なかったランニングウエアに革命を起こし、ELDORESOは機能性に加え、独特の尖ったデザインとカラーでランナーに支持されるようになった。ラン二ング文化と古き良きアメリカのカルチャーの混血から生まれたような商品で、コンセプトがしっかりと練られている感じがするが、阿久澤さんは、「いやいや」と苦笑して、こう語る。
「ものつくりのコンセプトって特にないんです。展示会があるので、期間内にサンプルを出さないといけない。その締め切りに追われてバァーと考えて作る感じです。1年先、2年先を読むとかもしないですね。たぶん3年後も同じようなものを作っていると思います。でも、それが『あいつっぽいよね』となって、トータルで見るとひとつのコンセプトになっていると思います」
デザインは、どのように考えているのだろうか。
「デザインは、何かをモチーフにしたり、何かにインスパイアされてっていうのはないですね。締め切り間近に突然、デザインが頭に降りてくることもないです(笑)。ただ、古着が好きなので、昔から見ていたものが活かされているところはあるかもしれない。僕が大事にしているのは、最初にこうだって思ったものからブレないこと。ひねっていくと、自分じゃないアイデアとかが入って来て、世の中にある同じようなものになってしまう。だから、4人でやっていた頃の経験がすごく生きています。大事なのは、人に流されないで、自分が好きなものだけを作るということです」
自分への挑戦状
ELDORESOの人気が上がっていくと、阿久澤さんのランニングに対する向き合い方に変化が生じた。マラソンを走るようになり、「ELDORESOの阿久澤」として、多くの人に知られるようになった。すると「ELDORESOを作っているヤツより、俺の方が速かった」という声が耳に入ってくるようになった。
「そこは聞き流せなかったですね(笑)。最初の頃はマラソンのタイムが4時間50分ぐらいだったんですけど、飲み会で『元陸上部なのに遅いね』って言われて、ちょっとバカにされるキャラみたいになってきたんです。自分がみんなと比較されるようになり、『ちきしょう、負けたくない。だったら速くなろう』と思ったので走るようになりました」
マラソンのおもしろさ
マラソンは自分の力がタイムに正確に出る。元陸上部としては、タイムにはこだわりがあった。そのため、マラソンを主戦場にし、コツコツと努力を重ねた。今年2月の別府大分毎日マラソンで、3時間03分20秒を出し、目標のサブ3が見えてきた。
「目標はサブ3って言い出して、もう何年も経っているんですが、ちょっとずつ近づいてきています。ただ、ここ最近は、20秒ぐらいずつしか更新できなくて、『これ、サブ3まで何年かかるんだよ』って思うんですが、だから楽しいんです(笑)。そう簡単にいかないところにマラソンのおもしろさがあると思います」
チーム活動の愉しさ
マラソンを含めランニングの活動は、より活発化している。
2021年、ランニングクラブ「LOUD RUNNERS(ラウドランナーズ)」を立ち上げ、チームユニフォームを作り、練習会に参加している。レースや練習で走る仲間を応援し、大学の後輩であり、社員でもある山口純平選手がマラソンや100キロのレースに出る際には現地でサポートしている。
「メンバーがタイムを出すのはうれしいですし、応援したりするのはめちゃくちゃ楽しいですね。純平もそうですが、やはり身近な人を応援するっていうのは同じ応援でも中身がぜんぜん違う。気持ちが入りますから」
パリ五輪での経験
ELDORESOは、国士館大、亜細亜大、上武大を始め、母校の桐生工業高校や強豪校の豊川高校、市立船橋高校など、14チームのユニフォームやセカンドユニフォームを作った。依頼が来ると「大変なんだよなぁ」と思うこともあるが、それでもウエアを作ることでチームや選手への関心が高まる。その結果、大会や記録会に赴き、選手やチームの応援をすることが増えてきた。8月は、パリ五輪でマラソンに出場するモンゴル代表のユニフォームを作り、パリに飛んだ。
「モンゴルのマラソン代表のセルオド・バトオチル選手とは日本でウエアをサポートしていましたし、五輪のウエアも作ることができたのでパリに応援しにいったんです。もうめちゃくちゃテンションが上がりましたし、楽しかったですね」
今は、「ユニフォームを作ってください」とあちこちから連絡が来るようになった。
「ありがたいことにたくさん発注依頼をいただくんですが、今はもう知り合い以外受けていないんです。ほぼ、国士館大学つながりですね。先輩も同期も後輩もたくさんいるので、そういうのって断りづらいんですよ。もう、それだけで手一杯な状態です」
阿久澤スタイル=ELDORESO
ELDORESOが人気を博し、右肩上がりで成長を続けるのは、商品のクオリティの高さと同様に阿久澤さんのライフスタイルがウエアから滲み出ているからだろう。阿久澤さんは、どこで走っていてもよく目立つ。風になびく長い髪の毛、仙人のようなあごひげ、左足の太ももに坂本龍馬、左腕や背中には岡本太郎の自由なタッチを筆で書いたようなデザインのタトゥ―が入っている。タトゥーは友人の練習台になったのがキッカケで23歳の時に入れ始め、終えたのが27歳の時だった。ランニングウエアを作り始めたのは、同じものを着たくないのが主な動機だったが、阿久澤さん自身も異彩を放ち、ELDORESOのウエアと重なる。
「そんなに格好いいもんじゃなくて、今の恰好は流されて行きついた感じです。髪の毛も30歳ぐらいまで坊主でした。ただ、坊主は、すぐに切らないといけないのでめんどうくさい。それで今はやらないですけど、そのうちやるかもしれないですね。タトゥーは痛いので、もう入れません(笑)」
RETOでの経験
阿久澤さんは、一時期RETO RUNNING CLUBに市民ランナーの一人として参加した。ラウドランナーズというチームを持ちながら異なるチームに参加したのには、理由があった。
「新しいチームに入った時、自分が周囲からどう見られ、どう接してもらうとうれしいのか。自分がラウドをやっているので新しく入って来た人の気持ちを知りたいなって思ったんです。僕は、人見知りであまり話かけてほしくないんですけど、RETOのコーチの聖也(高木)君はよく声をかけてくれて、単純に嬉しいなと思いました。同時に仲の良い人同士が集まることで、ポツンと孤立する人の気持ちも理解できた。ラウドではその経験を活かして、初めての人には声をかけるように意識していますけど、なかなか難しい(苦笑)。あと、RETOでいいなと思ったのは、仲間を応援する意識が高いこと。継続の人が多く、合宿とかやっているので、そういう繋がりが出来ているんだと思いますが、コミュニティを自分たちで成長させる意識が高い人が多いのはすごいなって思いました」

世界のブランドに
いろんな経験を消化しながら阿久澤さんの視線は、世界に向けられている。
「海外に出るとやっぱり刺激を受けます。僕の服は原色が多いので、アメリカだとBボーイ、ラッパー系の人にウケが良くて、『ファンキーだ』って言ってくれるんですよ。国が違うと見方や感じ方も違うのでおもしろい。ランニングウエアも含めて世界のブランドに成長していきたいですね」
走るモチベーション
もちろん走ることも継続中だ。
「ランニングは、僕の人生において70%ぐらい占めています。ウエアを作ったり、応援に行ったり、レースに出たりしていますが、20年後も絶対に走っていたいかと言えば、そうは思わない。その時、走りたくなったら走る。イヤになれば、やめればいい。すごくシンプルです。今のモチベーションは、走り終わった後、みんなで飲みにいくことですね。それが最高に楽しい。そのために僕は走っているようなもんです(笑)」
やりたくなったらやる。やりたくないと思えばやらない。中途半端を切り捨て、両極端に振れる思考が今も、そしてこれからもELDORESOにしっかりと反映されていくだろう。
阿久澤さんInstagram アカウント
https://www.instagram.com/tarzan_aqzawa/
ELDORESO Instagram アカウント
https://www.instagram.com/eldoreso/