金髪ギャルがランニングにハマった理由

Why I Run:Stories from Runners

vol.2 芦野さやかさん 前編

Text:Shun Sato

明るく、笑顔で、ランニングを楽しんでる。

“さやぴ”こと芦野さやかさんと一緒に走った人たちは、例外なく同じ印象を持っているのではないだろうか。会社員で趣味で始めたランニングだが、今やマラソンを3時間9分で走り、ウルトラマラソンでサブ10を達成し、パンランを主催するなど“走ること”を仕事にしている。

「人生で唯一ハマったコトがランニングでした」

 そう語るさやかさんは、なぜ走り続けるのだろうか――。

学生時代は金髪ギャル

「中学から高校まで部活を始めスポーツは何もしていなかったです。カラオケとバイトの日々で、北海道の田舎でギャルしていました(笑)」

 体を動かすことは好きだった。その日にバスケットボールがやりたくなったらバスケ部に行き、翌日はバレー部に顔を出したり、卓球部に遊びに行った。決められた場所で、決められた時間に、決められた人と決められたことをするのが苦手だった。

そのために部活に入らず、アイドルやアニメなどの趣味にハマることもなかった。金髪ギャルで、自由に伸び伸びと青春を謳歌していた。

「その頃、夢中になれるものが特になかったんです」

 大学時代は、ファッションに興味があったのでセレクトショップでアルバイトをした。

卒業後、さやかさんはアルマーニというファッションブランドに就職するのだが、そのキッカケになったのは中高時代の福祉関係のボランティアと大学時代に経験した研修だった。母親が福祉のボランティアをしていたので、よく施設に手伝いに行った、

「金髪でお手伝いに行っていたのですが、施設の方々や利用者の方は、私の外見への偏見がなく"手伝いに来てくれる人"として見てくれて、それがすごくうれしかった。それから私も偏見を持たず、誰かの役に立ちたいと思うようになったんです」

日本一の売上達成

大学で福祉心理学を学んでいたさやかさんは、研修で児童養護施設に1ヶ月間通い、様々な理由から親との生活がかなわない子供達と生活を共にした。なんの罪もない彼らは偏見の目で見られたり、就職時に困難な状況になる事も少なくないという現状を知った。

全ての子どもたちが活き活きと働ける場所を自分が作れたら…。自分が好きなファッションと子どもたちの将来が融合できることがしたいと思った。

「その為にまずは一流のサービスを学ぼうと思い、札幌市内を見て回った際に、理想とする接客をしていて、お客様が笑顔で過ごされていて、ここだ!と思ったところがアルマーニでした。早速、『働きたいです』とお手紙を送ったのですが、毎年募集があるわけではないと言われて‥‥でも、その年、たまたま新卒採用があったんです」

 さやかさんの熱い思いが伝わり、入社が決まり、表参道店に配属。1年半後に日本一の売上を誇る新宿店に異動。最初は先輩から身だしなみ、声のトーン、話し方、立ち居振る舞い、言葉遣い…ラグジュアリーなおもてなしの場に相応しくないと多くの指摘を受けた。

それから声のトーンを落とし、各お客様にとって心地よいペースで話し、商品知識を丁寧に伝え、全てのお客様にトータルコーディネートで提案をし、相応しいスタッフとなる努力をした。

男女で来店されるお客様については、女性への配慮を忘れず、男性との距離感を保って接客。徐々に男女問わずお客様から支持をいただけるようになり、日本一の売上を達成した。

ここでの経験は今のイベント運営に大きく活きている。

ランニングライフのはじまり

順調にキャリアを積んださやかさんがランニングを始めたのは、2015年6月だった。本社勤務となり数年して、会社の地方店舗の先輩に"東京マラソン出ようよ!"と言われた事がきっかけで、同僚を誘って皇居を1周し、有楽町のガード下で焼き鳥&お酒で打ち上げた。「何これ、超楽しいんだけど」と感動し、それがルーティンになった。

 初マラソンは、翌年8月の北海道マラソンだった。

「その前に宮古島のハーフに出たのですが、たくさんの人が同じスタートラインに立って同じゴールを目指すのが、すごく新鮮でしたし、まったく知らない私のことを沿道の方が応援してくれて、最高に楽しいと思ったんです(笑)。初フルの道マラで後半足が重くなってきた時にも、いろんな人に『がんばれ!!』と応援してもらえたり、コーラをもらったりして、ずーっと楽しくて!知らない人に応援してもらえるのって人生でなかなかないじゃないですか。大会を走るのはこんなにも楽しいことなんだ!と感じて、すぐにまたマラソンを走りたいと思いました」

 マラソンの楽しさにハマり、ランニングがサードプレイスになった。早く仕事を終わらせて走って帰りたいと思うようになり、その結果、仕事の効率も走力も上がった。それから徐々に走る仲間やランニング関係の仕事が増えていくのだが、それはインスタなどSNSを活用するようになったのが大きい。

ただ、最初、さやかさんはSNSが「苦手」だった。

「もともと超アナログ人間で、"SNS=怖い,面倒"というイメージで。友人が主催するフェスの告知をインスタでするから登録してと言われやり始めたものの楽しさがわからず放置していて。

ランニングを始めた時、これまで何も継続してきたものがないので、ランニングとインスタ2つのこと併せて続けてみたら、どちらもやめないかも!と思い、初めて走った日からランニング日記としてインスタ投稿し出して…。走った時は毎回、距離を掲載しました。自分の継続日記として残していくことにしたんです」

ウルトラへの憧憬

 楽しく走る姿を投稿し続けているとフォロワーが増え、いろんなイベントに招待され、友人ができたり、大会でフォロワーさんに声がけしてもらえるようになった。「SNSで人と会うのは怖い」と思っていたが、ランニング仲間やフォロワーが応援してくれることで、「怖くないんだ」と思えた。

「そこから私の世界観が広がり、人生が変わりました。走っていなければ絶対に出会えない人と繋がったり、トレイルやウルトラマラソンなど、違う世界に出会えることができたんです。その方々のおかげで私の人生が豊かになったので、私も誰かにこの感謝を還元したいと思うようになりました」

 その一環としてゆくゆく自らイベントを立ち上げることになるのだが、まず自身の挑戦としてマラソンで3時間10分切りに挑んだ。厳しい練習を乗り越え、2020年の別府大分マラソンで3時間09分58秒をマーク。感動の余韻に浸る中、周囲の人から「次はサブ3だな」と言われた。

「次はサブ3!っていろんな人に言われたんですけど、実際私の目標はそこにはなかったので、言われ続けてちょっとストレスに感じました(笑)。

目標は他人に決められるものじゃなく、私が決めること。もともと競争心が強い方ではなく、人との比較や争いは苦手で。マラソンは自分と戦うのが素敵だな、目標達成や記録更新を自分のペースできるのがいいなって思い、続けていました。プロではないので勝ち負けはもちろん、記録にもそこまで強いこだりはなくて、次の目標はサブ3という風にはまったく考えていなかったです」

 あまりにも「サブ3」と言われるので、みんなの期待を裏切りたくはない気持ちもあったが、視線はすでに次のステージを見据えていた。

それが、ウルトラマラソンだった。

「初めてウルトラに関わったのは、富士五湖ウルトラマラソンの応援に行った時でしたが、ウルトラ自体よくわかっていなかったし、人って100キロ走れるの?って感じでした(笑)。でも、ウルトラに挑戦するような強い方々が、ボロボロになりながらもゴールに向かっている姿に心震えて。応援している仲間や他のランナーさんがゴールして泣いたり笑う姿を見て、本当に感動しました。限界ギリギリで走るこんなすごい世界があるんだ。私もいつか挑戦したいと思ったんです」

 その応援から1年後の2018年4月、富士五湖ウルトラマラソンを走った。未知の100キロは、吐き気や足底の痛みで苦しみ、意識が朦朧とした時もあったが、目標タイムの12時間をクリア(11時間43分39秒)し、必死にがんばることのすばらしさを感じた。

親孝行のために走る

今やウルトラマラソンがライフレースになっている。

 そのために平日は練習し、土日はイベントで走る。さやかさんがランニングに夢中になる姿を喜んでくれたのは、家族だった。

「地元の友人には昔、金髪でギャルしていたので、『どうしたの、足とか超太くなって。人って変わるね』って言われます(笑)。

家族は、私が走るのをすごく喜んでくれました。祖父が定年後からランニングを始め大会などにも出ていたのですが、次第に足腰が弱り走れなくなったんです。ちょうどその頃、私が走るようになって、『これ、メダルだよ』と見せるとすごく喜んでくれて。両親には私が何かに夢中になる姿を見せたことがなかったので、目標を見つけて走っている姿を見せたいなって思っていました。今も『何もなかった金髪の子がこんな夢中になれることに出会えましたよ』と少しでも親孝行ができればいいなっていう気持ちで走っています」

 今では、教えていないはずの応援ナビで両親がさやかさんの走りをチェックし、誰よりも早くLINEに"お疲れさま"を送ってくれるようになった。

金髪の少女は、ランニングで孝行娘になった。

 

後編「応援ランナーがわたしの生きがい」

 

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