オフィシャルペーサーで得られた経験

第15回いわきサンシャインマラソン公式ペーサー

text:Shun Sato

RRCにペーサーの打診

2024年2月25日、第15回いわきサンシャインマラソンが開催された。

2000人のスタッフ・ボランティア、沿道で大勢の人が見守る中、5358人のランナーが出走したが、このレースでペーサーを任されたのが、RETO RUNNING CLUBだった。

キッカケは、大会運営担当者からRETO RUNNING CLUBコーチの高木聖也への打診だった。

「大会運営担当の方と知り合いで、RRCとして何かできないかという話をしている時、前年大会でペーサーがミスってしまったという話が出たんです。運営としては今回、同じミスは許されない。その時、ペーサーとしてご協力していただけませんかという話があったんです」

ペーサーを受諾すべきか否か

大会日程は、2月25日(日)だった。

レース当日は、大阪マラソンとかぶり、東京マラソンの1週間前、名古屋ウィメンズの2週間前に当たる。RRCのチームポリシーはそれぞれの目標を達成することにあり、それらのレースにエントリーしているメンバーが多数いた。

「メンバー個人の目標達成にとっては、ポジティブではない影響になる可能性もあるその時期にペーサーを引き受けていいものなのか、考えました。でも、僕らは個々が目標達成を目指して頑張っているのと同時に、メンバー間でお互いの目標の達成をサポートしていこうという文化があるじゃないですか。よく、メンバーから「RRCに入ってマラソンは団体スポーツだと思うようになりました」という声もあがります。大会に参加する多くのランナーの目標達成をサポートするペーサーという役割は、RRCの良さを自然にいかせるし、意味のあることなんじゃないかなと考えました」

手を挙げた8名のペーサー

受諾の返答をした後、RRC内でペーサーの募集をかけた。最終的にサブ3が高木コーチ、サブ3.5が新沼径さん、小倉昌さん、サブ4が中村修さん、平野寿謙さん、サブ5が成相陽平さん、三木俊弥さん、サブ6が金美淑さんに決まった。

「ペーサーの設定は、最終的に僕が決めさせてもらいました。一番大変だったのは、サブ6ですね。RRCのメンバーは普段走らないペースなので、引っ張ることが難しい。しかも、前年の大会ではそのペース設定でミスが起きたそうです。その設定を担当した金さんは大変だったと思いますが、事前に細かいタイムスケジュールを作られるなど入念に準備をして臨んでくれました」

8キロ関門通過を死守

そのサブ6のペーサーを任された金さんは、今回の応募動機について、こう語る。

「2020年に右胸にあった良性腫瘍の摘出手術をしたんですけど、昨年の健康診断で再び引っかかったんです。再発はしていなかったのですが、炎症を起こしていて次回の経過観察次第では走れなくなるので、走れるうちにいろんなことにチャレンジしておこうと応募しました。でも、私は遅いので『選ばれないだろうな』と思っていたんです。そうしたら聖也さんから連絡が来て、嬉しかったんですけど、サブ6の担当は私ひとりだったので、けっこう不安がありました」

最大の不安は、8キロ地点を含む5か所の関門をどうクリアするかだった。そのため金さんは各関門の通過を目指して、1キロごとのラップとエイドでの休憩時間を書き記し、それをビニール袋に入れてスタートした。

「いろいろ用意していったのですが、サブ6ぐらいの人って、関門の閉鎖時間だけが必要で、1キロごとのラップとか、必要ないんですよ。とにかく、最初の8キロの関門が気になっていたので、『あと、残り何分です』と大きな声で言いながらギリギリの人をフォローして前を追いかけて走るみたいな感じでした」

後半は、歩く人が増え、エイドでは食べ物など、エネルギーになるものがなくなっていた。金さんは自分用に持っていたジェルやタブレットをランナーに渡し、坂道で足がつっている人にコムロケアのゼリーを提供した。ペーサーというよりもナース的な役割を果たしていたのだ。

「最後は、『ちょっと速いよ』とか言われましたが、なんとかゴールできてホッとしました。ゴールすると運営の人が「時間通りにみなさん走り切れてよかったです。ありがとうございます」と喜んでくれて(笑)。マラソンを走って感謝されることってないですけど、感謝の言葉をたくさんいただきましたし、飲みものやつみれ汁を用意してくれるなど、手厚い待遇がうれしかったですね。ただ、やっぱりひとりのペーサーはキツいです。トイレも行けないですし、何かアクシデントがあったら対応できないじゃないですか。いくら遅くても責任は、サブ3もサブ6も変わらないので」

いわきに来た意味

サブ5担当の成相さんは、ペーサーの応募動機について、こう語る。

「今回、応募したのは、公認レースのペーサーにチャレンジしたかったのと、RETOの仲間と地方に行くことに魅力を感じたからです。ペーサーは初でしたが、つくばでなな(野崎七菜子さん)ちゃんと並走して、良い思い出が作れましたし、湘南国際で応援しながら走った時、記録を出すだけがマラソンじゃなくて、応援したり、サポートするのも楽しいなって思ったんです」

成相さんが今、目標とするサブ3.5のペースは4分57秒で、ペーサーの仕事であるサブ5は7分06秒ぐらいだ。レース前、皇居でサブ5のペースで試走すると遅すぎて走れず、スローで行っても6分45秒だった。

「これで42キロは難しいと思ったのですが、給水やエイドでの給食を考えると、なんとか行けるかなと思いました。あと、金さんがペースとか細かく設定していたので、さすがにまずいかなと思い、前日に僕も作りました。でも、いざ走ると、サブ5はサブ3やサブ3.5のようにペーサーのうしろにべったりつく人がほとんどいないんですよ。そこで淡々と走るのもあれなんで、沿道の人とハイタッチしたり、自分から楽しく走れる環境を作っていくことを意識していました」

30キロ以降、自分が時間内に走れているのかどうか気にする人が出てきたり、近くで走っている人が落ち始めてきた。成相さんは引っ張ってゴールするのではなく、同じくサブ5ペーサーの三木さんを先行させ、こぼれてくる人を拾って時間内にゴールに押し込んでいった。

「ミキティ(三木さん)が先行してゴールした後、僕は最後のコーナーを曲がったところで待ち構えて、ランナーのみなさんとハイタッチして迎えました。最後、ついてきてくれた人は20名ぐらいだったんですけど、ゴールまで送り届けることができてホッとしました。一番キツかったのは2時間ぐらい走り終えた時ですね。あと3時間も走らないといけないと思うと、絶望的になりました(苦笑)。自分の適正のスピードでないペースを刻んで走るのは、普通に走るマラソンとは別世界のキツさでしたね」

成合さんと一緒にペーサーを務めた三木さん

ゴールすると、「最後、声をかけてくれてありがとうございました」等々、多くのランナーから感謝の言葉をいただいたという。

「キツかったけど、やってよかったなと思いました。ペーサーをする際、文也(金子さん)に、『陽平さんの周りで走れたらいわきの人も楽しいでしょうね』って言われたのがずっと頭のなかにあったんです。ペースを守ることが大前提ですが、ペーサーとして周りにエネルギーを与えられたり、楽しさを伝えられるような役割を果たせたらいいな。それが出来たらいわきに来た意味があるのかなと思っていたので、みなさんの表情を見て、少しはやれたのかなと思いました」

頭と気を使うペーサー

サブ3.5のペーサーを務めたのは、新沼さんだ。

「僕がペーサーに手を挙げたのは、運営側の費用負担で遠征に行けるというのが初めてだったのと、RETOとして大会の公式ペーサーで走るのがおもしろそうだなと思ったからです。昨年11月にエリ(松沢衣利子さん)ちゃんのペーサーをやって、チームスポーツみたいな感じでやれてすごく面白かったんです。終わった後、感謝されて純粋にいいことしたなって思えたので、また機会があればと思っていました」

スタートする前、大会の公式ペーサーとして走ることの難しさも感じていた。チームで普段から一緒に走っている限られたメンバーをサポートするのと、その場で出会った大勢の人たちを初めて走るコースで引っ張っていくのとでは、まるで仕事が異なるからだ。

「いつも一緒に走っていれば下りが得意とか、上りが不得意とか分かるし、息遣いで状態や調子が分かるんですけど、集団を率いていく場合、一人一人のニーズに応えるわけにもいかず、最大公約数的に走りやすいペースを作っていかないといけないので、けっこう頭と気を使いました」

同じペーサーの小倉昌さんが「オレ負けず嫌いだからぶっちぎりたくなっちゃうんだよね(笑)」というので、「これ、競争じゃなくて、ペーサーですから」と先に前に行かないように伝えた。ペースを守りつつ、小倉さんの動きも見ていくことになり、2人でやる難しさを感じたという。

「ペース自体は、5キロを25分弱でシンプルなので、上りは思い切ってペースを落として、下りはペースを上げて、メリハリをつけていきました。うしろは、けっこう大きな集団になっていましたね。ただ、徐々に絞られてきて、最後の坂ではマーシー(小倉昌さん)さんがいきなり元気になって前にいこうとするんで、『時間には余裕をつくってきたんで、そんなにいかないで大丈夫です』と止めましたが、実際は自分がきつかった。マーシーさんは最後までイノシシでしたね(笑)」

断念した東京マラソン

最後は、20~30人ぐらいのランナーを背負って、ゴールした。

「正直、左足の状態が良くなくて30キロぐらいで離れようかなと思ったんです。でも、最後はきれいにペースを作れましたし、ついて来てくれた人がたくさんいた。みなさんに『おかげでサブ3.5できました』と喜んでいただいた。ホッとしたのとやり切ってよかったという思いが半々でした」

実は、新沼さんは、この1週間後に勝負レースと決めていた東京マラソンが控えていた。だが、このレース後、目標にしていた東京の出走を取りやめた。

「いわきの1週間前に浜松ハーフに出て、その時点で足が痛くて、走れてもいわきか東京のどっちかだなと思っていたんです。目標にしていたサブ3の達成が厳しい状況でしたし、チームで請け負ったペーサーという仕事を自分は引き受けたわけで、それをスキップして自分の記録のために東京を走るというのは自分のなかでしっくりきませんでした。最終的に割り切って、納得しての決断だったので、いわきを走ったことに後悔はひとつもありませんでした」

新沼さんは、別のマラソン大会でまたペーサーの機会があれば、出たいという。

「RETOは、チーム方針としてPBを狙うというのがありますが、つづけていくと行き詰ることもあると思うんです。自分のタイムがなかなか上がらない時、ペーサーで人を導く楽しさやおもしろさを経験して、自分の走りに繋げて行ければいいかなと思いますね」


サブ4のペーサーを努めた中村さんと平野さん

ペーサーの経験がもたらすもの

大会後、運営側からはペーサーをつとめたメンバーとRRCに感謝の言葉が送られた。チームとして、初めて受けたペーサーという仕事をまっとうし、高木さんは、チームとして、またひとつ引き出しが増えたと笑みを見せる。

「今回、大会のオフィシャルペーサーをやるのは全員が初めてだったわけじゃないですか。不安な気持ちもあったと思います。けど、RRCのメンバーは目標を達成する時の取り組みが大変なことや達成した時の喜びを分かっているので、責任を持ってやってくれました。また、ペーサーの存在の大きさも分かったと思うんです。今もメンバー同士でサポートする文化はありますけど、よりその思いが強くなるキッカケになるんじゃないかなと思います」

RRCには応援文化が定着し、ペーサーも広い意味でそこに含まれる。チームスローガンの「ラン二ングで人生を豊かにする」を考えれば、自分のためにだけではなく、ペーサーとして誰かのために走ることは、それを実現するファクターになる。今後もあるだろう、その機会を活かしていけばランニングでの幸福度が増していくだろう。

 

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