「何回もRETOをやめようと思いました」~サブ4達成、怪我からの復活430日間の戦い~

RUNNERS REAL STORY  Vol.1 田中智子さん

Text: shun sato

モートン病発症

田中智子さんが足の指の付け根に異変を感じたのは、2022年7月だった。

最初は、違和感だけで、そのうち治るかなと楽観視していたが、9月のRETO合宿に参加すると痛みで走れず、別メニューで過ごした。

その後、普通に歩いているだけでズキズキという痛みが出て、走るどころではなくなった。10月、神野大地に相談すると、「僕が過去に経験したのと同じ症状ですね」と語り、鳥居俊先生(整形外科医)を紹介してもらった。そこで診察を受け、告げられた病名は聞いたことがないものだった。

「モートン病です」

モートン病とは、足の裏や足趾(そくし)の付け根に痛みを生じる病気だ。足趾の付け根から指先にかけて向かう神経が、足趾の付け根の部位で慢性的に圧迫されることで発症する。モートン病の発症の要因は、ヒールなど先の細い靴を履き続けたり、外反母趾など骨の形状異常が見られる人に多いが、智子さんはまさに外反母趾で苦しんでいた。

担当医からの厳しい宣告

しかも、この時、鳥居先生からは厳しい宣告を受けた

「基本的には治らないです。病気と共存していくことで走れるようになれるので、まずは注射を打ちながら様子を見ていきましょう」

注射は、痛みに応じて液剤の量を調整し、2週間ごとに打ち、治療を進めていった。しかし、1ヶ月過ぎても好転せず、2ヶ月、3ヶ月と過ぎても一向によくならなかった。足の痛みが80%ぐらいあるとすると、注射を打ち2、3日は50%ぐらいに痛みが低下する。でも、1週間ほど経過し、歩いていると、また80%に戻ってしまう

「歩くと痛みが出るので、まだまだなぁって思うと溜息が出ました。このくらいで治りますというのが見えないですし、RETOに戻れるかどうかも分からない。本当に走れる日が来るのかな。もう走れないんじゃないかなと思うと、このままRETOに入っている意味あるのかなぁとか、いろんなことを考えてしまいました」

RETOをやめるか否か

2023年に入り、マラソンシーズンになるとRETOのメンバーが自己ベストを次々と更新していった。Facebookに、マラソンで結果を出した投稿を見ていると、眩しく、羨ましく思い、なぜ自分は走れないのだろうと足を呪った。

「こんなにつらいならいっそRETOをやめようかな」

何度も、そう思った。

智子さんにとって走ることは大好きなことであり、人生にとって欠かせないものだった。その走ることができなければ、走ること以外の興味のあることや取り組みたいことに時間を費やしていこうかなとも考えた。

「でも、RETOにいる以上、走ることが仕事の次いで私の優先すべきことなので、それを取っ払ったら楽になるのかなと思いましたが、それはできかったです」

仲間と神野の支え

それは、走ることが好きで、復帰への強い思いがあったからだが、同時に治療している中、寄り添ってくれた仲間の存在が大きかったからだ。状態が好転しないなか、RETOのメンバーである星綾子さん、野崎七菜子さん、長谷部裕子さんと都内で会って、話をする時間は単純に楽しくもあり、自分がチームの一員であることを思い起こさせてくれる時間でもあった。

「私は、治療している間、練習会に出ていないので、誰とも会っていなかったんです。そんな時、4人で一緒に会う機会を作ってくれて。その時、『待っているよ』とか、『頑張って』とかではなく、私の心が晴れない日々の話をただ聞いてくれて‥‥それはすごくありがたかったです」

神野の声も智子さんの支えになった。

「先生を紹介してくださった後も神野さんは何回か連絡をくださって、治療の結果とか相談させていただきました。『治らない病気はないから待っています』と、声をかけていただいたり、ほんと支えていただきました」

復調の兆し

2023年5月、最初の治療から8か月が経過した。

この頃、ようやく変化が見られた。歩いている時の痛みがかなり軽減されたのだ。鳥居先生からは、「走ると痛みがある箇所をかばってその周辺が鍛えられるので、1キロでもいいのでこれから走っていきましょう」と言われた。

この時、智子さんはある覚悟を決めていた。

走れないままRETOに籍を置いていることに限界を感じていた。8月からの第6クールに復帰できなければやめることを決め、そのことを高木聖也コーチにも伝えた。

「最初、1キロを走ってみたんです。これで痛みがまた出たら中断だなと思っていたのですが、痛みが出なかったんです。次に5キロを走った時、走り方とか体が忘れている感じで、しんどすぎたんですけど、止まるほどの痛みはないし、走れないことはないなという感触を得られました。これで、ようやくいけるかもと思いました」

最初はジョグペースで距離を増やし、あとは筋トレとバイクで心肺機能を高めた。走れるようになってからは、海外での仕事が多いので練習会には参加できず、足に不安があるのでスピード練習も頻繁に出来ない中、少なくとも200キロの走行距離が必要だと考え、それを自分に課した。ある時は、野崎夫婦と長谷部さんが個人的な練習会を開いてくれた。

「1キロ6分半とか、超激遅ペースでトン(野崎稔雄)さんが『サトちゃんの練習やから』って引っ張って私に付き合ってくれたんです。これは、いま思ってもほんと感謝しかないです」

走ることをリスタートした智子さんが、徹底したことはランニング後のケアだった。モートン病になる前は、簡単なストレッチのみで終わらせており、そのため積み重なった疲労が発症の一因になっていると考えていたからだ。参考にしたのは、RETOのオンライン講座で中野ジェームズ修一氏が講義してくれたテニスボールとストレッチポールを使用したケアだった。

「この動画のケアを毎日、続けていました。忙しい時はテニスボールだけとか、ストレッチポールだけの日もあるんですけど、それでも欠かさず続けることで大きな故障はなくなり、病院に行くことも鍼灸院にいくこともなくなりました。私にとって、中野さんのケアは救世主でした」

チーム練習に復帰

8月、RETO RUNNING CLUBの練習会に復帰した。

すぐにターゲットレースを11月の「東北・宮城復興マラソン」に決め、サブ4を目標にした。

「RETOのスピード練習がキツかったですし、5分30秒ぐらいで40キロ走ったことがないので本当にダメもとで決めました。でも、ゆうこりん(長谷部裕子)とななちゃん(野崎七菜子)が私のペースで一緒に走ろうといってくれて。すごく心強くて、それをムダにしたくないと思い、サブ4達成に向けて、自分でやれることは最低限やっていこうと心に決めて練習していました」

渾身のサブ4達成

2023年11月5日、智子さんは、東北宮城復興マラソンに出走した。ペーサーには長谷部さんがつくことになった。3時間51分43秒で、見事にサブ4を達成した。

「レースは、もうゆうこりんのペースメークが完璧でした。スタートは人数が多いので、遅れるじゃないですか。そのことを含めて巻き返す時間や当日の自分の調子を聞いてくれて、それに合わせたペースメイクに瞬時に変えて、ずっと前を走ってくれたんです。レース中、時計のことを考えず、走ることだけに集中し、ついていくだけみたいにリードしてくれたので、ほんまに支えられているなと思いましたし、すごい贅沢やなと思いました。ゆうこりんとななちゃんがいなかったらサブ4は、できなかったと思います」

現地にはゲストランナーとして参加していた神野大地がおり、サブ4達成を報告した。「おめでとうございます」と丁寧に返してくれた言葉のなかには、智子さんが1年近くも苦労してきたことを知る神野のやさしさが込められていた。

「正直、ホッとしました。サブ4達成を目指してRETOに入ったのに、達成せずにやめて、それを背負って今後の人生を生きていくのはちょっとしんどいなと思っていました。神野さんを始め、お世話になった人がたくさんいるし、それは走りでしか返せないじゃないですか。サブ4を達成してからじゃないとやめられないとずっと思っていたので、ほんまに達成できてよかったです。」

智子さんは、今も月間200キロを目標に走っている。

徳島とハセツネに参戦予定

足の方は、日によってピリピリすることはあるが、痛みのために今日走るのをやめておこうということはない。微妙な痛みとうまく共存できている感じだ。

「次は、3月、徳島マラソンを走る予定です。昔、徳島に住んでいたことがあったので昨年も応募していたんです。でも、故障が治らなくてキャンセルしたので、今年こそはという気持ちと、もうひとつは宮城では、サポートを受けてサブ4を達成できました。今度は、一人で走ってサブ4を達成したいという気持ちがあったので、それをやり切りたいと思います」

智子さんは、その1週間後、ハセツネ30キロにも出場予定だ。トレイルが大好きなだけに、こちらも諦めずに走るつもりで、「好きなことを好きなだけしようと思っています」と、すっかり笑顔も戻って来た。

想像できない430日間の戦い

実は23年4月、鳥居先生の診察の際、筆者は智子さんと待合室で顔を合わせたことがあった。「ここにいるということは重症ということですよね」と二人して苦笑したが、その後、ほぼ同じ頃、ランニングを再開させた。怪我はすべきものではないが、した者同士には同じ苦しみを共有する戦友みたいな気持ちが宿る。そういう意味では、智子さんがあの故障から長い時間をかけて復帰し、サブ4を達成したことは、なんだか自分のことのようにうれしかった。

智子さんの故障は、今後も100%完治は難しいかもしれない。

だが、サブ4を達成できるところまで復帰したプロセスは、同じ故障で悩んだり、長期離脱を余儀なくされ、それでも前を向いて復帰しようとしているランナーにとって間違いなく、福音になるはずだ。

 

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