Text: shun sato
北海道マラソンには、RETO RUNNING CULBから30名ものランナーが出走した。
夏のマラソンで、しかも場所は札幌。地方都市のマラソンに一つのチームからこれだけのメンバーがそろって出走するのは、なかなかないだろう。
北海道マラソン6日前の公式練習会にも出走者が多く参加した
今回は出走者だけではなく、応援とサポートで参加するメンバー、そしてメンバーの自己ベストを更新するためにペーサーとして参加したメンバーもいる。
土本優作さんは、市川貴洋さんのサポートをしながら走った。
「道マラにエントリーしたけど、自己ベストは出ないんで練習がてら自己ベストにチャレンジする人をサポートしようと思ったんです。自分は初めてだったんですけど、練習会での話やチャットで呼びかけをしたらイッチ―さんから『お願いします』と連絡があり、やることになりました」
メンバーのサポートを買って出た土本さん
市川さんは、土本さんのサポートは非常にありがたかったという。
レースでサポートの大きさを実感したのは、給水の時だった。これまで過剰に摂り過ぎたり、コップを取るのにスローダウンしたり、「給水は苦手」だった。土本さんは、最初の給水場での市川さんの対応を見て、そのことを理解した。
「給水で、最初の混んでいるところに取りにいったり、コップの持ち方も上から掴むんじゃなく、コップの中を持つ感じだったんです。それを見て、給水は僕がやった方がいいなと思いました」
2回目の給水場からは土本さんが水とスポーツドリンクを取って渡した。給水場に寄らずに走ればスピードロスと転倒などのアクシデントを避けられるからだ。
必要なジェルは、市川さん自身が保持していたが、土本さんはサポート組の小山内真紀さんに、15キロと35キロの個人エイドで経口補水ゼリーを渡してくれるようにお願いをしていた。
「マッキーさんがサポートしてくれたんですけど、そういうところでエイドを受けた時の走りって、少し変わりますからね。夏マラソンは塩分不足や脱水になると足がつってしまうんで」
市川さんの自己ベスト更新に向けてサポート体制は、万端だった。
土本さんにサポートをお願いした市川さん
15キロ地点で土本さんたちを待っていた小山内さんは、もともと道マラに出走予定だった。だが、本番5日前に目の異常を感じ、眼科医からも出走を止められたため、サポートに回った。
「サポートでも行こうと思ったのは、もともと走りたかった大会でしたし、30人もの大人数で行くのですごく楽しそうじゃないですか。練習会でみんな頑張っているのを見てきましたし、打ち上げもあるんで、応援でも十分楽しめるんじゃないかなと思っていくことにしました」
朝に札幌入りした小山内さんは、持参した凍った経口補水液に加え、駅近くのコンビニで氷などを仕入れ、タクシーで15キロのポイントに向かった。
レースでは予想外のことが起きていた。
15キロ地点で小山内さんを見つけると氷や経口補水液などを欲するメンバーが続出した。この日の札幌の気温は、スタート時点で約30度、湿度も高く、想像以上にランナーにダメージを与えていた。
「聖也さん(高木聖也コーチ)にゼリーを渡そうとしてうまく渡せなかったんですけど、引き返して獲りにきたんです。それで、聖也さんクラスでも相当きついんだなって思いました。みんなが来るのを待っていると体感的にそんなに暑さを感じなかったんですけど、ハマタカ(浜田享征)さんが歩いてきた時は衝撃的で、これは本当にヤバいなって思って、もう急いで氷を詰めました」
欠場したもののメンバーのサポートのために札幌へ駆けつけた小山内さん
袋に詰めた氷は、メンバーだけではなく、欲するランナーに提供していくと、あっという間になくなった。10キロ地点で、氷を配っていた小渕美和さんから「こっちに向かいます」というメッセージがあったので、氷を3袋、買い足してきてもらうように連絡をした。
「正直、あれだけの氷を15キロ地点で使い果たすとは思っていなかったです。昨年、函館マラソンを走った時、30度越えた暑さでのマラソンの苦しさって分かっているつもりだったんですが、メンバーが苦しそうに走っている姿を見ると改めて夏のマラソンの苛酷さを感じました」
小山内さんは、この後、15キロの反対車線の37キロ地点に移動しようとした。だが、当然だが、「渡れないよ」とボランティアや警察に言われた。レース後半になるとランナー間に隙間ができるようになり、警察の許可を取った上でランナーに紛れて走り、37キロ地点に移動し、小渕さんと合流した。小山内さんの機転の効いた対応が普段はできないコースの横断を可能にした。
市川さんは土本さんのペースメイクでハーフまでは順調に来ていた。だが、23キロを超えると、急に差し込みが起きた。
土本さんは、ペースが落ちてきたのを感じた。
「ハーフ付近、イッチーが踏ん張って走っている感があったんで、キツそうだなって思っていたら23キロから静かに落ちて行きました」
市川さんは、キロ4分40秒のペースに落ち、土本さんから「ちょっとリカバリーしましょう。回復を待ってもう1回上げましょう」と声をかけられた。
28キロ過ぎには、雨に見舞われた。シューズが濡れ、足がふやけて、マメができた。そこから土本さんとの距離が開き始めたが、少し行くと止まって待っていてくれた。
「歩くとか、止まるとかはダメだよ。経験としてネガティブに作用するから最後まで走りきることに切り替えていこう」
土本さんに、そう声をかけられ、市川さんも切り替え、5分ペースで必死にもがいていた。
スタート地点。今川さんは金髪で現れメンバーを驚かせた。
今川莉玖さんは、31キロ地点でメンバーが来るのを待っていた。
「夏のマラソンは暑いし、あれだけの人数がレースに出るんで、サポートするのもやりがいがあるなと思って、両親と一緒にきました」
ちなみに朝、スタート地点に現れた時は、髪の毛が金髪になっていて、周囲を驚かせた。
31キロ地点は、有本周翔さんと話をして決め、両親の車で移動した。31キロ周辺は何もなく、駅からも遠いので、車があったからこそサポートができる場所だった。
「莉玖君の声掛けに助けられた」
そういったのは永田龍司さんだ。熱中症にかかり、31キロ地点で今川さんの「大丈夫ですか」という声に、ふと我に返った。その後、少し歩いて救護所に向かい、DNFを決めた。
チーム最速の自己ベストを持つ永田さんは30km過ぎにリタイアを決断した
「龍司さんは、元気なさそうな感じで歩いていたんで、やばいなって思って声を掛けたんです。救護所では、普通に話ができたんですけど、悔しそうでしたね」
31キロ地点での今川さんのエイドは、多くのメンバーのオアシスになったが、評判がよかったのが、ネット袋に入った氷だった。収縮性のあるネットに入っており、ビニールよりもストレートに冷たさが伝わり、使い勝手も良く、これで救われた人が多かった。
「このアイデアは絵(片山)さんからで、このネットに入れて渡してって言われたんです。やってみると、これいいなあって思って、これでみんなに渡そうと思ってパクりました(笑)」
RETOのメンバーだけではなく、多くのランナーが差し出すネット入りの氷を求め、「ありがとうございます」と感謝の言葉をもらった。
「RETOのメンバーだけではなく、知らない人から『ありがとう』って言われると、気持ち的にやってよかったな、役に立ってよかったなと思いました」
氷をネットに入れる作業は、両親も手伝ってくれた。終わった後の打ち上げでは、ご両親からお酒の差し入れもあった。走りはもちろん打ち上げもサポートしてもらい、本当に暖かい気持になった。
35キロ地点では、小渕美和さんと小山内さんが個人エイドで待っていた。
「もともとは、救護ランナーとして走る予定だったんです」
小渕さんは現役の看護師。名古屋ウィメンズマラソンの時、救命士や看護師がレース中に具合が悪くなったランナーのサポートや救助をする姿を見て、やってみたいと思い、道マラには救護ランナーとして出場することを決めた。だが、数日前に故障して今回は走るのを断念、メンバーのサポートに徹することを決めた。
小渕さんも直前で欠場を決めたが、サポートのために迷わず札幌へ駆けつけた
10キロ地点から移動する際、小山内さんから連絡があり、急遽コンビニで氷を買って移動した。お代は、メンバーの溝口和也さんからの心遣いでまかなった。自分は行かずともメンバーのためにという気持ちは、本当にありがたいものだ。
35キロ地点では、RETOのメンバーを始め、苦悶の表情を浮かべているランナーが多かったが、中には元気なランナーもいた。
「明日香(山本)ちゃんは、元気だったし、エリ(松沢衣利子)ちゃんは渡そうとしたら反応してくれて、『大丈夫』ってそのままいったんですが、めちゃくちゃ体が動いていましたね。でも、殆どのメンバーは辛そうで、こっちに反応する余裕もなかった感じがしました」
RETOのメンバーだけではなく、多くのランナーが「氷ください」と寄ってきたが、できるだけ渡すようにした。
「サポートは、今回に限っていえば楽しい感じではなかったです。あれだけのメンバーが走ると、どうしても逃してしまう人が出てきます。移動中にサポートできない人もいたので、申し訳ない気持ちでいっぱいでした」
夏のマラソンで、これまでのマラソンと異なり、準備が足りなかったこともあった。
「これまでいろんな応援にいきましたけど、こんなに準備をして、みんなを待つというのは初めてでした。とにかく、みんなを見つけないといけない。みんなに氷を渡さないといけないという気持ちが強くて。私は、みんなのために何かできることを考えている時間が好きなんです」
最後に歩いてきた三科圭介さんと金子一美さんを見送って、小渕さんと小山内さんは、35キロ地点をあとにした。
「ちょっと元気になってきたな」
北大の並木通りに入り、土本さんは、うしろの市川さんの足音からそう感じたという。
「道庁を抜けたあたりから最後は、力は戻って来て、僕に並ぶような感じになってきて、最後絞り出していました」
市川さんは、最後の力を振り絞った。
「最後、道庁を出ての直前300mぐらいかな。アマネ君(有本)もいて、最後にみんなで300mだけですけと、ダッシュしてゴールできたのは気持ちよかったです。途中、苦しかったんですけど、マッキーさんや莉玖君、美和ちゃんがいて救われましたし、つっちーには本当に感謝です。終わった後は本当に感動しました。普段の練習会から仲間の大切さ、勇気づけられるのを感じていましたが、それをレースでも感じられたのがうれしかったです」
フィニッシュ直後の市川さん、土本さん
土本さんは、ひとりのペーサーにつく難しさを感じたという。
「ペーサーは、相手のことを知らないと難しい、レース中も差し込みの治し方とか知らなかったし、途中で離れた時、離れすぎると僕を追い掛けなくなるので、ちょうどいい距離感を掴むのが難しかった。でも、止まりかけた中、よく最後まで頑張りました。自分の練習というのもありましたけど、それ以上にサポートの充実感がありました。来年、もう1回、誰かのためにやりたいなって思います」
フィニッシュ地点(左から有本さん、市川さん、土本さん)
3時間30分前後でゴールした人は、先にテレビ塔下で写真撮影を行い、4時間前後にゴールした人たちは後続のメンバーを応援ナビで追いながらゴール付近で待っていた。ゴールで仲間が待ってくれているのは、やはりうれしいものだ。
30名の出走者は、RETO最速の永田さんがDNFだったが、残りは全員が完走した。完走率は81.1%と前年から9%も落ちたことを考えると、RETOの完走率は96%。その中で4人が自己ベストを出したのは、チームとしての大きな成果だろう。
ゴールすれば、気持ちが一気に解放される。
打ち上げの1次会はジンギスカン、2次会は海鮮居酒屋で行い、3次会は桜井徹哉さんたちが借りた通称「チェリーハウス」で飲み、1時すぎまで宴会がつづいた。あの暑さの中、フルマラソンを走ってさらに夜中まで元気に飲み続けるタフさは、いったいどこからくるのだろうか。
打ち上げは深夜まで続いた
「私たちは、宿に帰って、さらに恋バナしていました」
小渕さんたち女子グループは、深夜まで話の花を咲かせ、翌日もトリトン(回転寿司)、エスコンフィールドなどの観光を堪能した。「修学旅行みたいでした」と笑みを見せたが、走るのは真剣、楽しむ時はとことん楽しむ。その姿勢は、RETOで醸成されてきた文化でもある。
北海道マラソンは、「本気」と「楽しむ」の二兎を追える最高のレースだった。
翌日は北海道を観光して楽しんだ