RRC member interview
text:Shun Sato
第10クール Cチーム(目標:フルマラソンsub4時間00分)MVP YURIさん
コロナ禍でのスタート
私が走り始めたのは、コロナ禍で在宅勤務になったのがキッカケです。
運動不足を感じていたのでジムに行くようになり、最初は筋トレをしていたんですけど、トレーナーさんに「ジムに来ない時は有酸素運動をした方がいいよ」といわれて、ランニングを始めました。
ホノルルマラソンの衝撃
最初は、5キロを30-40分ぐらいかけて走っていたのですが、徐々に楽しくなって、それをトレーナーさんに伝えたら「マラソンに出てみたら」と言われて。その時、初フルはホノルルと決めました。制限時間がないですし、しかも大好きなハワイだったからです。ただ、その年はコロナ禍の余波で行けなくて、翌22年にホノルルマラソンを走りました。スタート地点でアメリカ国歌を黒人女性が赤ペラで歌ってすごく盛り上がって鳥肌が立ちました。海外のあのテンションのレースを経験したので、それから海外レースにまた行きたいと思うようになりました。運よく当選し、その3か月後に東京マラソンを走る事ができ、ワールドマラソンメジャーズの存在を知り、いつか6大メジャーを制覇したいと思うようになりました。ベルリン、ロンドン、ニューヨークには出たので、あとはシカゴとボストンを走り、ワールドマラソンメジャーズの6大会を走破するのが今の目標です。
ベルリンで壁を越える
ベルリンはレース当日、15度ぐらいでとても良いコンディションでしたが、夏の間の練習の内容から、とてもサブ4を狙える状況ではなく、ファンランで行こうと思いスタートしました。ハーフで2時間越えていたので、サブ4ができるなんて思っていなかったんです。それから徐々にペースが上がって、今まで感じたことがないくらい楽しく走れたんです。残り5キロになり、「サブ4行けるんじゃない?」と気が付いてからは逆に怖くなりました。もう心臓バクバクで辛い練習を思い出しながらラストスパートし、ギリギリサブ4を達成することができました。
憂鬱だった練習会
RETOに入ったのは、昨年のベルリンの後の11月です。インスタで、みなさんがPBを更新するのを見て入りたいと思い、私はサブ4を達成する目標があったので応募しました。最初は、すごいところに来ちゃったなと思いましたね。練習のメニューが出ると今まで経験した練習会のサブ4レベルのメニューと比べると明らかに速い設定で「私には絶対に無理」と思い、毎回行くのが憂鬱になりました。練習もコンプリート出来るわけがなく、一時は心が折れて辞めたいと思い、聖也さんとタムケンさんにどうしたら良いか相談したこともありました。
身に染みて感じたこと
私は、公式練習会も仕事の都合などで毎回参加できるわけでもなく、公式練習会以外の練習や飲み会もほとんど参加したことがありません。こんな私がMVPを頂いてよいのか、正直驚いています。そんな私でも、練習会に行くと神野さんはじめ、みなさんが気にかけて声をかけてくれたり、聖也さんがメニューのアレンジをしてくださったり、何よりキツいメニューをやり切った後の達成感は格別で、頑張って練習に来て良かったと毎回思いますし、みなさんの優しさに触れ、心折れながらもRETOを続けてきて本当に良かったと思います。サブ4を達成できたのはRETOのみなさんときつい練習のおかげだと身に染みて感じました。
マイペースで走りつづける
―なぜ、走るのですか。
走るのが好きだからです。それに走った後の達成感ですね。どんなに遅くなってもゴールしたら「やった。次も頑張ろう」って感覚になれるので。それに走っているとポジティブな思考になるんです。音楽を聞きながらジョグしていると自分の世界に入って、アイデアがたくさん出て来て、仕事をがんばろうって思えるんです。生活のあらゆる面を豊かにしてくれるので、これからも自分のペースで走っていきたいと思います。